2月3日 月曜日 2

 そしてその日の夜、ルカの母親がひとりで尋ねてきた。
 「こんばんは」
 「こんばんは、どうぞ」
 母親は、ルカの遺骨の前で長いこと祈っていた。俺はその姿をただ見詰めていた。見詰めながら、考えてみればこの母親も不憫な人なのだと俺はその時初めて思った。母親は俺の方に向き直り
 「ありがとうございます。ルカは幸せだったと思います」
深々と頭を下げた。俺は、何を言って良いのか解らず黙っていた。
 「佐藤さん、あの娘を貰ってくださってありがとうございます。こんな結果になってしまいましたが、悔やんではいないと思います。ただ、あの娘の事は、早くお忘れになって、あなたご自身の幸せをお考え下さいませ」
 「いえ、俺にとってルカは、忘れられない人です。一生無理な事だと思っています。彼女は、俺を変えてくれた人ですから・・・・」
 「あの娘が?」
 「ええ」
 「そうですか・・・あの娘が・・・」
 また沈黙の時が流れる。俺は、沈黙に耐えられなくなり、珈琲を淹れに行くと、ルカの母親にも出した。
 「どうぞ、珈琲飲んでください。ルカは、俺の淹れた珈琲が好きでした」
 「ありがとう。そうですか、この珈琲ですか」
 母親は、ルカがそうしたように、カップをおし抱くと珈琲をひと口飲んだ。そして涙を零した。俺は何を言って良いのか余計解らなくなった。
 「ごめんなさい。ルカの手紙に、あなたの珈琲の事が書いてあったものだから・・・」
 「手紙?」
 「ええ」
そう言うと、一通の手紙を母親は俺に差し出した。
 「ルカが、くれた最後の手紙です。離れて暮らすことが多かったので、よく手紙をくれました。家を飛び出してからは、くれませんでしたが、あなたと婚姻届を出した事と、もう二度と家には帰らないと言う内容です。どうぞ、お読みになってください」
 「良いんですか?」
 「ええ、あなたにはその権利があります。どうぞ、いえ、是非読んでやって下さい」
俺は、差し出された手紙を躊躇いがちに開けると恐る恐る読み始めた。

『お母様へ
 この手紙は、お母様へ出す、最後の手紙です。その事を解って読んで下さい。お願いします。
 私は、佐藤純一さんと言う方とご縁があり、婚姻届を出しました。でも、この事は、ずっと内緒にしようと思っていました。義父に知られたら、色々妨害されるでしょう。そんな事は、言わなくても、お母様にはお解かりになりますよね。
 なのに、何故お母様だけには言っておきたいのかと言うと・・・・・私、本当に心から愛する人と巡り合い、愛し合い、母となる事が解ったからなのです。
 ただ、皮肉にも、義父が私につけた名前、仏教思想の〝業〟カルマを意味する、伽瑠羅と言う名前が物語るように、結局私も、お母様と同じ運命を辿っている・・・・・それが悔しいけれど・・・・・
 きっと義父は反対するでしょう。お母様を、私のお父様から奪ったように、どんな妨害をするか解りません。けれど、私は、お母様、お母様と最後の最後、違った運命を歩みたいのです。それが、良い方向に行くのか、悪い方向に行くのか、それはもう、神のみの思し召し。それ以外にはない、そう心に思えたのです。ですからお母様、お母様にだけ本当の事を言います。後は、お母様がどうされるかは、お母様にお任せします。でも、私が母になることを、お母様には祝って欲しい。祝ってくださいますよね?
あの時、お母様が、私を産んで下さったから、私は、純と言う素敵な人に巡り合う事が出来ました。そして、純との子供を授かったのです。私は、その事を心からお母様に感謝したいの。お母様、ありがとう。言葉では言い尽くせない思いが、今、私の中に溢れています。お医者様から妊娠を告げられた時の私の喜び、純と分かち合えた喜び、言葉では言い表せない感動でした。お母様も、私がお腹にいると判った時、同じ想いをしたのでしょうね。
 純はね、とってもあたたかくて優しい人です。きっと、私のお父様も、純のような人だったのでしょうね。だからお母様もお父様を好きになったのでしょう。それが、やっと解った気がします。私は、純と幸せになります。お母様、どうか、私を見守ってくださいませね。
 そうそう、お母様、純はね、珈琲を淹れるのがとても上手なの。本当なら、お母様にも純の淹れてくれた珈琲を飲ませてあげたい。いつか、いつか・・・飲みに来て下さいませね。子供が産まれたら、美里姉さまに伝えますから、抱いてあげて下さいませ。お母様、私は、その日を楽しみにしています。お母様も、お体を大切に、その日を楽しみにしていてくださいませ。
では、さようなら。
佐藤 伽瑠羅
1月3日』

 俺は、手紙を読みながら、ルカの想いがまた少し解ったような気がした。ルカがお父様と言ったのは、自分の本当の父親のことではないのか?
 「この手紙は、投函されたものですか?」
 「いいえ、まさか。美里さんが届けてくれました。美里さん自身も悩んだ様子でしたが、ルカに言われたそうです。私の我侭だけれど、くれぐれも頼むと」 
 「それで、この手紙はいつ受け取ったのですか?」
 「丁度、あの娘がホテルへ連れて来られる前の日、5日です。でも、実際読んだのは、あの娘が倒れた次の日でした。皮肉なものです。あの娘があなたとの子供を授かっていたことも、結婚していたことも知らなかったのですから・・・酷い母親ですね。ごめんなさい」
ルカの母親は頭を垂れた。
 「でも、一馬氏は知っていたのでしょう?」
俺は、母親の肩を揺らした。
 「ええ、でも、あの人は私に何も話しません。恭一さんとルカの婚姻の事も、寝耳に水の話で、ルカが驚いたのと同じかそれ以上の驚きでした」
 「一馬氏は、俺とルカが婚姻届を出した事をどうやって知ったのです?ずっと内緒で行動していた筈なのに・・・・」
母親は、少し言い難そうに、悲痛な声音で言った。
 「興信所を使っていたようです。一度、加納があなたたちの車を着けて失敗したそうですね」
 「ああ、あの時・・・・・」
 「その後、何処かの会社を頼んだそうです。加納に問い詰めましたの」
身体中を戦慄が走り抜ける。長い沈黙の後、
 「それなら何故もっと早くルカを連れ戻さなかったのですか?」
 ボソっと俺の口をついて想いが言葉に変わる。抑えていた感情が怒りに変化する。
 俺は、この母も同罪なのだと言わんばかりに詰った。それでどうなるものでもない事は判っている。しかし、詰らずにはいられなかった。
 「俺は、あの人がやはり許せない。ルカの妊娠が判ってから、連れ戻したり、俺の会社に圧力をかけたりするのは、卑怯じゃないんですか?」
 怒り、悔しさ、なんとも言えない想いがさらにこみ上げる。両の拳は、固く握りしめられ、ぶるぶると震えるのがわかる。
 「その事は、言い訳も出来ません。あの娘に子供がいたことを知っていたら・・・いいえ、それでも何も出来ませんでしたわね。きっと。佐藤さん、愚かな母を許せとは申しません。ただ、今の私に出来る事は、こうして謝る事だけです。一生掛けて、ルカに謝り続けることなのです」
 母親は、頭を下げた。確かにそれしか出来ないのだろう・・・しかし・・・・・
 「すみません。帰っていただけますか。俺は、あなたがいると何をするか判らない。俺自身が犯罪者になってしまいそうだ。お願いです。今直ぐ、帰ってください」
 俺は感情を押し殺し言った。そうしないと、本当に、殴り殺してしまいかねない激情が俺を支配していたのだ。母親は、更に深く頭を下げると、無言で部屋を出て行った。
 俺は、ドアが閉まる音を確認すると、誰にもぶつけられない想いを吐き出すために叫んだ。その叫びは音と言うより動物の唸りに似ていた。折角、ルカとドライブをし、ある程度、自分の想いにケリを付けたつもりだった。 
 しかし、母親から聞かされた事が、俺にはショックだった。興信所を雇い、俺たちを監視し続けた一馬氏。その事自体は卑怯と言うしかないが、それを予測できずにいた自分が不甲斐なかったのだ。ルカを守り抜くことが出来なかった自分が悔しく、情けなかった。
 やがて俺は、物に当り散らした。手近に有るものを投げまくった。ルカとの生活を覗き見されていた事が俺には、何か聖域を侵略され穢された想いでいっぱいになった。
 俺は、バイクのキーを掴むと、また当てもなく走り始めた。空からは、闇から這い出たように、冷たい雨のシャワーが降り注いだ。
 『どうして俺は生きているんだ。ルカ、君は俺を残して何故ひとり旅立った・・・お願いだ、答えてくれ』『俺は、何をどう許したら良い?ルカ、教えてくれ』
 ルカの手紙は、俺を更に迷いの淵を歩かせていた。許せない、許せるわけはない。なのに、許さねばならぬ約束をルカと俺はした。最後の瞬間まで、許してと言ったルカの想いを俺は・・・せめて、ルカ、君の命がこの手の中に有ってくれさえすれば、まだ許せる気持ちも起きただろう。その命がもう、この手の中にはないのだ。
 俺は答えの出ない難問を抱えた学生のように自問自答を繰り返し、一晩中走り続けた。冬の雨は、容赦なく身体から熱を奪って行く。だが、寒さより、心の痛みは例えようも無く俺を貫いて震えるのだった。
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by karura1204 | 2004-12-01 00:04 | エピローグ
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