9月13日 金曜日 2

ブザーが鳴った。
 「はーい。何方?」
 私はマジックアイを覗き込んだ。その先に写った人影に、うんざりする。一番逢いたくない人がとうとう、やって来た。『純、助けて』心の中で呟く。返事をしてしまった手前開けない訳にはいかない。チェーンロックを掛けたまま、ドアを開ける。
 「伽瑠羅、良かった。いたのね」
 「帰って。私は家には帰らないのだから。いくらお母様たちが来ても無駄よ。また、場所を変えるわ」
 「いいえ、伽瑠羅お嬢様、何処まででも探して帰っていただきます。旦那様がお待ちです」
 「伽瑠羅、兎に角中へ入れてちょうだい」
 「嫌よ」
 「お嬢様」
 「大声を出さないで。警察を呼ぶわ」
 「なんて言う事を言うの」
 「本気よ」
 私のいつもとは違うきつい一言に言葉を失うふたりの訪問者。暫く沈黙が続く。沈黙に耐えられなかったのは母だった。
 「加納、今日のところは帰りましょう。伽瑠羅のい場所がわかったのだから、無理する事はないわ」
 「奥様」
 「良いのよ」
 「はい、では帰りましょう。伽瑠羅お嬢様、今日のところは帰ります。でも、何度でも参りますからね」
 「二度と来ないで。来たら、私ここから飛び降りるから」
 「お嬢様、困らせないで下さい」
 「さあ、加納、帰りましょう。伽瑠羅、また来ます。その時は、中へ入れてちょうだいね」
 ふたりが帰る足音を聞きながら、ドアを閉め、鍵を掛けると、私はその場に崩れるようにしゃがみこみ、暫く呆然としていた。涙が一筋伝う・・・・『次の場所を探さなきゃ』純に迷惑を掛ける。純を巻き込みたくない。必死で寝室に這いつくばって行くと、荷物を纏めようとした。でも・・・・・溢れる涙は、純の笑顔を想い焦がれ、胸の痛みに押し潰されそうで、私は声を上げて泣いた。純のベッドに顔を伏せ、泣いた。ただ、自分の運命を呪うように泣く事しか出来なかった。
 どれくらいそうしていただろう。声を出して泣いたおかげで、心に落ち着きが取り戻せたような気がした。私は、自分の意思を確認したくて、美里姉に電話を掛けた。ダイアルを押す指がかすかに震えているのが解った。
 「はい、西園寺」
 「美里姉」
 「ああ、ルカ。どうした?」
 「今、来たわ」
 「そう、それで」
 「門前払いにした。また来るって言ったけど、来たら飛び降りるって言っておいたわ」
 「また、過激な事を言ったわね。お母様ビックリしていたでしょう」
 「良いのよ。私の中には過激な血が流れているのですもの」
 「ルカ」
 「ごめん。でも、本当の事よ。普段、お母様は何もおっしゃらないけれど、あの人の心の中には、炎が渦巻いているの。私にも、あの人と同じ血が流れている。美里姉、私、ここにいるわ。もう、逃げない。お父様と戦うわ」
 「そう、あんたは、一度言い出したら聞かないからね、昔から。好きにしなさいよ。出来るだけの応援はするから」
 「ありがとう、美里姉」
 「良いのよ、ルカが気にすることはないわ。それより、何時でも電話してきなさいね。思いつめて変な事しないうちに」
 「ええ」

 美里姉と話した事で、私の中の何かがはじけた気がした。過激な情熱。何故、仁の時にその情熱が出なかったのだろうと思った。そして、取り乱した部屋を片付けながら考えた。そうだ、仁に裏切られたと知った時は、お父様のやりそうな事だと怒りの方が先に立ったのだわ。けれど、純と別れる事は、辛さの方が大きい。純の優しさが、それまでの痛みを癒してくれた。その分、私は純に甘える事が出来ていた。短いけれど、楽しい純との暮らし。私は、この生活を守りたいと願っている。なら、逃げる事はやめよう。負けるなら負けるでも良い。とことん戦おうと私は決めた。

 その夜、俺は遅くに帰宅した。明日から、いや、今日から世間は3連休。しかも二週続きの3連休だった。今週は仕事だが、来週は法事も兼ねて、ルカと久しぶりにゆっくりする。勝手に予定をあれこれ考えながらエレベーターを上がった。玄関を開けると、リビングに灯りが付いていた。ドアを開けると、ルカは起きていた。
 「何だ、寝ていなかったのか?」
 「純、お帰り」
ルカは、そう言うと俺に抱きついた。俺は、ビックリした。こんな事は今までに一度もない。
 「何かあったのか?」
心配になって聞いた。
 「ううん、そうじゃない。純の顔をちゃんと見て話がしたかったからかな」
ルカの微笑が、俺の疲れた心と身体をいっぺんに元気にした。
 「そうか・・・俺もだ」
そう言うと、ルカにキスをする。
 「私、寂しかったの。最近、純とちゃんと話をしていないでしょう」
 「そうだな」
俺は、愛しさで溢れた。だが、ルカの温もりの中に、言い知れぬ不安がよぎった。
 「こうしていると安心するわ」
 「俺もだよ」
 「本当?」
 「ああ、本当だよ。あ、そうだ、ルカ、来週の連休、俺に付き合ってくれないか。両親の13回忌法要を鎌倉で行うんだ。尊達も来てくれる事になっている。出来れば、皆に紹介したいと思っているんだ。駄目かな?」
ルカの返事を聞きたくて、顔を向けて俺はハッとした。
 「どうした?」
 「嬉しいのよ、だって、皆に紹介してくれるのでしょう。勿論、一緒に行くわ」
 「ルカ、泣き虫になった?」
 「そうね。ちょっとだけ」
俺は、ルカの涙を拭うと、少し長いキスをした。
 「ルカ、シャワー浴びてくるよ」
 俺はルカの身体を離した。その時、ルカの瞳が俺を誘っているように感じた。今まで見せたことのない表情だった。どうしたのだろう?俺はその事が気になった。が、聞くことは出来ない雰囲気があった。
 「お風呂も沸いているからね。良かったら入って。その方が疲れ取れるでしょう。着替え用意してあげるから、シャワー行って良いわよ」
 「ありがとう」
 俺は、ルカの言葉に逆らわず、風呂に行った。やはり今日のルカは何処かおかしいと思った。不安は募った。だが、そぶりは見せないようにした。そして、 「ルカ、良かったら一緒に風呂に入らないか?」
と誘ってみた。
 「どうしようかな、一回入っちゃっているから・・・・・」
 「無理は言わないよ」
 「ええ・・・・」
 声が聞こえなくなった。どうしたのかと思い、声を掛けようとした時、ドアが開いて、ルカが入ってきた。
 「温まって寝ようと思って、来ちゃった」
 「ああ、良いよ。おいで」
ふたりで、湯船に浸かった。並んで入ると、少し窮屈だけれど、入れないことはない。
 「リフォームしたら、ふたりでゆっくり入れる風呂にしよう、な」
 ルカは黙って頷いた。俺は、ルカの肩を抱いた。俺の肩にもたれかかったルカだが、すぐ顔を上げた。ルカの唇が何かを言いかけた。俺は、どうしようもない不安に襲われ、ルカの唇に、指を当てた。瞳が出逢う。どちらからともなくキスを交わす。ルカのしなやかな曲線が、俺の理性を超えた瞬間、俺はもう、止まれない。ルカを抱き上げ、ベッドに運ぶ。部屋もベッドもびしょびしょになった。しかし、今の頭には、どうでも良い事だった。ただ、ルカの肢体に俺の身体が吸い寄せられてゆくだけだ。ふくよかな胸のふくらみも、緩いカーブ描く腰の線も、俺を虜にして離さない。消化不良だった胃が、物凄いスピードで消化されてゆく感じだ。ルカの吐息は俺の耳をかすめ、くすぐってゆく。潤んだ、ルカの瞳は、俺の中心を更に興奮させた。絡みつくようにしがみつくルカ。俺は舞い上がり、全ての不安も何もかも、この至福の前には敵わないと悟った。上言のように俺の名前を何度も呼ぶルカ。いつしか、シーツの海に、ふたりは溺れる難破船になった。その波の中に、幾度ももぐり、浮上し、頂点に達すると、やがて潮が引くように静かになった。お互いの身体を愛しんだ後の心地良い疲れは、不安を安心に変え、静かな凪の海は、俺たちに眠りをもたらした。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:41 | 第四章 パンドラ
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