9月13日 金曜日 1

 ルカの不安を知らぬまま、幾日か過ぎた頃、珍しく美里からの電話を貰った。
 「純平、久しぶり。その後どう、彼女とは上手くいっているの?」
 「まあね。でも、此処の所忙しくて、家にも帰っていないよ」
 「そう、じゃあ、寂しがっているんじゃない?」
 「ああ、きっとな」
 「まあ、ごちそうさま。でも、そんなに忙しいんじゃ、会うのは無理かな?」
 「美里と?」
 「そうよ。全く、会うのは、彼女だけだと思っているところが凄いわね。かつてのマドンナを差し置いて」
電話の向こうで美里が笑った。
 「わかったよ。ちょっと待って」
俺はスケジュール帳を開き
 「うーん、昼でも良いかな?」
 「昼は、ちょっと無理だわ。夜にゆっくり話したい事があるのよ」
 「じゃあ、来週の土曜日は?何とか空けるよ」
 「良いわ。来週の土曜日。20時にお店に来てくれる?」
 「20時だね。解った。じゃあ、その時に」
 「ええ。じゃあ」

 俺は、電話を切った。だが、妙な胸騒ぎを覚えた。まるで、パンドラの箱が開かれる鍵を美里が握っているような、とでも言ったら良いのだろうか。電話の向こうで美里の声は笑っていた。しかし、断れない気迫を持って俺に迫って響いてきたのだった。『何故だろう?』
 俺は、窓の外に目を向けMM21の街を見下ろした。眼下には、親子連れや観光客の姿が・・・・・ふと、遊園地が目に留まる。ルカの笑顔が浮んだ。『楽しかったな・・・・』俺は、ルカの誕生日を祝った日を思い出していた。だが、同時に頭の中のスクリーンには夢の映像がリアルに浮んだ。俺の心は、不安に押し潰されそうになった。迷宮へ落ち込み、田中の「チーフ」と言う呼びかけにも、気付かないほど考え込んでいた。

 「チーフ、大丈夫ですか?」
 「ああ、田中か。悪い。考え事をしていた。どうした」
 「すみません、セキュリティーの事で、ご意見を伺いたいのです。今、三島と冴島とソフトハウスの連中とで意見が食い違っているのです」
 「何処のソフトハウスだ?」
 「ミューズです」
 「すると、うちのリーダーは冴島か」
 「はい」
 「わかった。行こう」
 「お願いします。第二会議室です」
俺は、システム計画書を持つと、田中と一緒に会議室へ向かった。
 日本のシステムは、海外に比べて引けを取らないと俺は思っている。しかし、セキュリュティの意識レベルは低い。どんなにセキュリュティを強化しても足りないのが事実なのに、島国と言う安心感なのか?その意識レベルは笑ってしまうほどだ。ハッカーと呼ばれる連中は、2重、3重のセキュリティシステムを平気で突破してくる。だから、俺たちSEは、それに対応するシステムを構築しなければならない。俺は、このシステム予算の大半をセキュリティシステムの強化に費やして顧客に提案した。
会議室に入ると、男4人が渋い顔をして睨み合っていた。

 「おい、どうしたというのだ」
声を掛けると冴島が、
 「チーフ。すみません。ミューズさん側が」
 「冴島、ちょっと待て。新藤さん、何時もありがとうございます。で、どうしました?打ち合わせの時から何か疑問点や問題、変更等がありましたか?」
 「佐藤さん、良い所へ来てくれました。いやね、打ち合わせの時、私が来られなくて、この三木本を寄こしていたのです。その時点では、問題がなさそう見思えたのです。ところが、今日来て見て、計画書を見たら、セキュリティーがいまひとつ足りないのではないかと思いまして、それで、その辺はどうお考えなのかを冴島さんに伺っていた所です。折角、コレだけのセキュリティシステムです。もう一歩踏み込んだ強化をかけたらと言っていたのです」
 「具体的にはどう言った形でしょうか?」
俺は、計画書を広げて聞いた。
 「それはですね・・・・・」
 俺は、じっくりと新藤の話を聞いた。新藤の説明はもっともだった。ただ、冴島が危惧したのは、特許権の問題だろうと思った。
 「ですから、このセキュリティシステムでは、特許も取得済みです。三木本が開発したセキュリティシステムは、ハッカーの侵入を防ぐだけではなく、侵入経路を突き止め、逆にハッカー側のシステムを攻撃します。是非、コレを採用して頂きたいのですよ。他には売りません。このシステムは佐藤さんならと思いましてね」
 「成る程、お話は解りました。確かに、そこまで徹底したシステムなら顧客は安心ですね。しかし、今直ぐ、ここの話だけで即答は出来ませんので、暫くお時間をいただけませんか?福永部長や家田統括部長とも相談の上、採用させていただくか、見送るかを決定させてください。予算の建て直しや、特許料の話も検討しなければなりませんのでね。それで宜しいでしょうか?」
 「はあ、前向きにご検討願えるのであれば、佐藤さんの顔を立ててそうします」
 「ありがとうございます。では、そちらのシステム計画書を何部か頂きたいのですが、今、お持ちですか?」
新藤の隣にいた三木本が鞄から角封筒を出し、
 「此処にあります。是非、よろしくお願いします」
と深々と頭を下げた。俺は、その封筒を受け取ると、
 「では新藤さん、失礼します。冴島、ちょっと」
 冴島を部屋から出し、指示を与え、その足で家田統括部長の所へ行った。新藤との話をし、俺は一番大事な事を、告げた。
 「家田統括部長、すみません、お彼岸の連休なのですが、3連休取らせていただいてよろしいでしょうか?」
 「どうした?」
 「今年、両親の13回忌を迎えます。3回忌も7回忌も何もしてやれませんでしたので、今年ぐらいはと・・・」
 「いいぞ、気にするな。何か有ったら、私が陣頭指揮を取る。ご両親の所へ行ってやりなさい」
 「ありがとうございます」
 「少し、気負いすぎているぞ。ゆったり構えんと、精神が持たん。新藤の話は、私も直接話を聞いてみよう。それからでも遅くは無かろう。常務とも相談したいし」
 「はい」
 「明日からの連休も休んで良いぞ。私も、最近現場に行くのが楽しくてね」
 「ありがとうございます。でも、今週は出ます」
 「ほらほら、そう言う生真面目さは、時として辛いぞ。無理はするな。良いな」
 「はい」
 「じゃあ、これは預かっておくよ」
 俺は頭を下げた。

 その頃、家には、招かれざる客がふたり、パンドラの箱から沸いてきたようにやってきていた。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:41 | 第四章 パンドラ
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