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8月7日 水曜日 1

 昨日は、歩き疲れて眠った。が、気分がどこかHighで、早くに目が覚めた。俺は、隣で眠るルカに目をやった。幸せそうに寝息を立てている。その天使の様な寝顔を暫く見詰めていた。そして、昨夜のルカの言葉を思い出していた。『私を裏切った人』一体何があったのだろう・・・?俺の心に、また疑問が浮んでは消えた。俺は、ルカの過去を何一つ知らない。知らないでいたい気持ちと、知りたい気持ちがない交ぜになっている。複雑すぎるこの想い。『君は、一体何処の誰?どうして俺の目の前に現れた?』過去などどうでも良いじゃないか。思っては見るが、やはり気になる。開けてはいけないパンドラの箱がルカの過去だと思った。思えば思うほど、あけてみたい衝動に駆られた。今、こうして、俺の目の前にいるルカでは駄目なのか?いや、そんなことはない。俺の目の前にいる、ルカで充分なのだ。そうだ。そうなのだ。充分なのだ。自分の気持ちを押し込めようとした。しかし・・・・・パンドラの箱は、意外な所から開けられることになるのだった。

 ルカが目を覚まして、見詰めていた俺と目が合った。
 「純、嫌だ、見ていたの?」
 「うん、ルカの寝顔が可愛いな~と思って見ていた」
 「何時から?」
 「ちょっと前」
 「恥ずかしいよ」
 「どうして?」
 「恥ずかしいの」
 ルカは、そう言うと俺の胸に顔を埋めた。俺は、そんなルカの仕草が可愛くて、抱きしめるとキスをした。あの日以来、キスには抵抗がなくなってきたのか、キスは受け入れてくれる。それが嬉しい俺。単純だな。さっきまでルカの過去を考えていたのに、目覚めのキスで、どうでも良くなってきた。
 「今日からまた、仕事だ。頑張るよ」
 そう言うと俺はベッドから起き上がり、仕事の準備を始めた。ルカも起きてくると、食事の支度に取り掛かった。その後姿を見て、俺は不思議に感じた。ルカは、ここへ来てから、料理を覚えたと言ったが、多分嘘だ。素養はあった。最初出来ない振りをしたと俺は思う。手際の良さと勘の良さは、やっていたことを物語っている。また、パンドラの箱の迷路に入り込みそうになった。しかし、今は、仕事モードに切り替えようと思っていた。
 「純、出来たわよ」
ルカが、声を掛けた。
 「わかった」
俺は、テーブルについた。
 「美味そうじゃん。いただきます」
 「いただきます」
 「美味い!腕、上がったよな」
 「そう?」
 「うん。短期間で良く出来たよ。やっぱり、仕事の成果かな」
 「そうね。主婦の人たちから、色々教えてもらっているもの」
 「良かったな」
 「ええ」
 ジャーマンポテトにフレンチトースト、バナナミルクと、消化に良い食事に俺は満足した。
「珈琲、何時でも飲めるように淹れておくからな」
俺は、キッチンに立った。ルカが、後ろで俺を見詰めている。その視線を感じた時、
 「純が、キッチンに立っている姿、良いね。私、好きだな」
ルカは、テーブルに頬杖を付きながら言った。
 「何を言い出すんだ」
 「だって、そうなんだもの。男の人が、キッチンに立っているのが嫌だって言う人いるけれど、私は、素敵だと思うの。純似合うよ」
 「そうか。似合うか」
 「ええ」
 俺は、淹れたての珈琲をルカとゆっくり飲んだ。
 「ルカとこうしていたいよ、俺」
 ルカは微笑んだ。目覚ましがけたたましい音を出した。
 「いけねぇ。目覚まし止めるの、忘れていた」
 俺は慌てて止めに行った。その音を合図に、ルカは、キッチンへ行き洗いものを始めた。俺は、珈琲を飲みながら、キッチンのルカを見ていた。洗い物が終わる頃、俺は立った。
 「ルカ、早いけど行くよ。君を見ていたいけれど、会社へ行きたくなくなるからね」
 「わかったわ」
 俺は鞄を持って玄関へ行った。
 「純、気をつけてね。行ってらっしゃい」
 「ああ、行ってくるよ」
 俺は、ルカにキスをして出かけた。

 会社に着くと、デスクの鍵を開け、書類を出す。そして、デスクの上に並べてある書類に目を通す。判の必要なものと、そうでないものに分ける。判が必要でも、やり直しの書類ははじいて付箋を付ける。これらの作業を1時間あまりで終わらせた。
9時、全員が揃った。俺は、臨時のチーム会を始めた。
 「早速休みを取らせてもらって、昨日は、ありがとう。皆も、早めに取って欲しい」
 「チーフ、昨日はデートでしたか?」
 「篠田君、チーム会で言うことじゃないでしょう」
 「高橋、良い。そうだ。デートだ。彼女の誕生日だった。君たちも、彼女や彼氏と過ごす時間を大事にしてくれ。そのことが気になって、仕事に身が入らないより、デートを楽しんで、次の日は仕事をする方が良いだろう」
 「そうですよね」
 「ああ、それで、業務効率が図れたら良いだろう」
 「はい」
 「ちゃんと、会社側には話をしてあるし、他のセクションとの連携も取ってある。だから、気にしないで欲しい。だからと言って、しなくて良い残業や休日出勤をすることもないからな。今日は、そのお願いだ。業務効率を図るように仕ことをして欲しい。無理・無駄のなように」
 「はい」
 「先ず、書類だが、かなりのミスが目立つ。付箋のついているものは、全てやり直しだ。基本的なミスが多い」
 俺は、机に書類を出した。
 「これから1時間以内に、再度提出して欲しい。良いね。じゃあ、他に連絡は?」
皆黙っていた。
 「特にないなら、これで終わりにする」
俺は、チーム会を解散した。

 その日の昼、統括部長からお誘いがあった。久しぶりに飲みたいとの申し出。二つ返ことで引き受けた。ルカにメールをする。
 「今日は、上司と話があるので、遅くなる、先に寝ていて欲しい。純一」
直ぐ返事が来る。
 「わかったわ。ルカ」
この辺がルカの良い所だ。
 昼からは、顧客の所へ出向き、最終的な打ち合わせと、次期計画への打診をした。今は、契約が取れたからといって、次の契約に結びつくという保証がな時代になった。それまでは、一連の流れとして契約が続いて行ったが、秒進日歩の世界、何時、他の新しいシステム計画が食い込んでくるか判らないのである。それだけに、ミスは少ない方が良い。他業者に取って代わられるケースはざらにあるのだから。
 今期契約は、年末までに稼動させることになっている。クリスマス辺りが勝負になりそうな気配だ。せめてクリスマス前には、終わらせておきたい。俺の中に、ルカと過ごしたいという気持ちが大きく働いている。が、部下たちにも、クリスマスぐらいのんびりさせてやりたいし、正月返上なんてことにはさせたくないのだ。

 俺が、この部署に来た頃は、IT景気で、仕ことが腐るほどあったし、SEは花形の職業として人気もあり、人手が足りない程だった。勢い残業も今の比ではなかった。だが、今回は20億の商談だ。休日返上は必至だ。俺は、会社への帰り道、いかに効率良く仕事を回転させるかを考えていた。そのためには、勤怠やその他の細々した事務処理の時間を短縮しておかなければ成らない。この勤怠や総務に提出する事務書類と言うのは、結構面倒なのだ。総務にも面倒をかける。2度手間、3度手間と掛けさせてしまうことになる。そうなると、仕事にも少なからず影響が出る。
 俺は、ひとり、誰かこの事務処理担当を決めようと思った。以前は、事務担当の人間を雇っていたのだが、人員削減で事務処理担当の人間はいなくなった。その代わり、イントラネットでの業務効率化を図るはずなのだが、上手く行かない。人間がやるところを、機械(システム)が肩代わりするのだが、機械は万全ではない。故障がつき物なのだ。それに、人間のミスを機械はチェックしきれないのだ。そうなると、機械もミスをするのである。部内秘書の役割を担える適任者を早急に探し出す必要があった。
 高橋嬢は、適任と言えば適任なのだが、彼女のこれからを思うと、そうそう、こういった仕事ばかりを頼むことは出来ない。俺は考えた。新人では、ある意味荷が重い仕事だ。俺の脳裏にルカの顔が浮ぶ。ルカは、適任だ。しかし、彼女は会社の人間でもなければ、派遣に登録しているわけでもない。それに、何より、英語の家庭教師を始めたばかりだ。無理は言えない。ルカのように機転が利いて、迅速に対応できる人間・・・・・後で統括部長に相談しようと思った。が、その前に高橋嬢に聞いてみることにした。事前リサーチである。デスクに戻り、高橋嬢を呼ぶと、俺は切り出した。

 「ちょっと知恵を借りたい」
 「何でしょうか?」
 「君が推薦するなら、この人物と言う人間を教えてもらいたい。今回、部内秘書的な役割を誰かにやってもらおうと思う。今までは、珠樹君がいたが、会社の方針で部内秘書制度は廃止になっただろう」
 「はあ・・・・そうですねぇ」
 「君のお眼鏡に敵う様な人物はいないだろうか?」
 「私じゃ駄目ですか?」
 「それも考えた。しかし、君にはこれからSEとして頑張ってもらいたい。新人では荷が重いと思う。2年目以降の人物で誰かいないだろうか?君がサポートしてくれても構わない」
 「ありがとうございます。少し、考えさせていただけませんでしょうか?」
 「少しとは、どれくらいかな?」
 「定時までには」
 「わかった。頼む」
 俺は、そう言うと、ブラインド越しに、桜木町の街を見下ろした。この辺りは、博覧会の会場になり、かなり開けた。横浜や関内より、人の出入りが激しくなった。そう、あの博覧会の開発システムの導入の時だ。俺は、ライバル会社に仕事を取られた。あの時の悔しさが、今の俺に繋がっているのだと思う。今回、同じライバル会社に競り勝った商談なのだ。思い入れが違う。『次期計画も、絶対に落とす』俺は、想いを新たにしていた。

 定時の鐘が鳴る頃、高橋嬢は数枚の紙を持ってやって来た。
 「チーフ、お待たせしてすみません。私の所見をここ にメモしておきました。それで、申し訳ありませんが、この後、美和との約束がありますので、今日はこれで失礼させていただきます」
 「わかった、ありがとう。参考にさせてもらうよ。そうだ、今度、計画の今井を誘ってやってくれないか?俺が言ったとは言わないでくれよ。あいつ、美和さんにお熱だからな」
 「分かりました。フフ、チーフもやりますねって言うか、チーフ雰囲気が変わりましたよね」
 「そうかな?」
 「ええ、彼女が出来たせいでしょうか?柔らかくなって、良い感じですよ。皆で時々話しています」
 「そうか。そうかもしれないな」
 「ごちそうさまです。じゃあ、私はこれで失礼します」
 「ああ、ありがとう」
 俺は、高橋嬢のメモを直ぐに読んだ。高橋嬢の所見が仔細に書いてある。メモとは思えないほどだった。部内の人間関係から性格までを良く把握している。俺などよりも、人間関係形成という点では上かもしれないと思わせた。それだけ長所短所が微に入り細に入り書かれていた。
 俺は、その中で、ひとり注目すべき人間を発見した。最後のコメントで高橋嬢が最も押した「神保薫」と言う女性だ。彼女のことは、おとなしいがミスの少ないイメージとして映っていた。高橋嬢曰く「物事に対する取り組み方が真面目。石橋を叩いても渡らず、壊してしまう所がある。でも、計画性、実行性は部内ナンバーワン」とあった。俺は、このメモを読んで、「神保」しかいないなと思った。今まで、あまり目立ったことはしていない。しかし、書類の記入ミスのな人物である。俺はそのことは認めていた。だが、積極性に欠けている部分があり、伸び悩んでいた人物でもあった。俺は、この仕事が、彼女にとって、新しい可能性を引き出してくれたらと、期待した。
by karura1204 | 2004-12-01 01:47 | 第三章 黒点
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