7月30日 火曜日 1

 翌朝、できたてのビラを掲示板に貼った。俺たちは満足げに貼りたてのビラを見た。「行ってらっしゃい」ルカが手を振って見送ってくれた。俺の姿が見えなくなるまで手を振っていたようだった。ルカの視線を感じながらパン屋へ行った。ビラを貼らせて貰いたい趣旨を話し、快く承知してもらった。ビラを預けると会社へ向かった。
 今日は、新規プロジェクトの編成に一日を費やした。外注先の選択から、社内での応援、サポート体制までを仔細に決めた。外注選びには神経を使う。不公平にならないよう、また社内ブラックリストに上げた社は外してゆく。その作業に半日かかった。応援は、2つの部、4つの課に決めた。こうして無事稼動するまで100人あまりの人間が動く。それぞれの役割に応じたリーダーを立てる。俺は、その一番上で現場を仕切る重要なポストだ。無論俺の直属の上司と統括部長が最終的な決定をするのだが、現場の指揮は俺だ。
 このプロジェクトが成功すれば、俺は昇進する。チームリーダーからシステム部長に成る。30代の部長は何人かいるが、多くはない。その中のひとりになると、統括部長から言われていた。その話を聞いたときは信じられなかったが、人事会でお前を推薦しておいたと言われ、社内の空気や、このプロジェクトの事を思えば、否がをでも真実味を持ってきたのである。
 様々なプレッシャーが俺にのしかかったと思う。回りから、何を言われるのは構わない。しかし、トラブルなく稼動させる事が重要だ。それが出来なくてはプロジェクトに関わった人たちに迷惑が掛かる。まして、会社の損失は大になる。昇進も見送られるだろう。そういった全ての物事が、俺にいらぬプレッシャーとなろうとしていた。『初日からこんな気持ちでどうする』俺は自分に活を入れたくて、ルカにメールをした。
 「何しているの?誰かから連絡は来たかい?時間があったら電話してくれ。純一」
 直ぐ携帯が鳴った。
 「純、どうしたの?」
 「いや、ルカの、声が聞きたかった」
 「嬉しいわ、実は、私も純の声が聞きたかったの。そうそう、ビラの効果って、凄いのよ。もう、3人も問い合わせがあったの。明日会うことにしたわ。学生さんよ」
ルカのはしゃいだ声が電話を通して伝わってくる。ルカの笑顔を思い俺も嬉しくなった。
 「良かったな、このペースでゆけばあっという間に一杯だ」
 「そうだと良いわ。純も仕事頑張ってね」
 「ああ、ありがとう。じゃあ、切るよ」
 「ええ、後でね」
 俺は電話を切った。デスクに目を移す。今日の決定事項を纏めた資料が束になっている。手に取り、ペラペラとめくったが、俺は昨日の事が気になっていた。俺がいない間、ルカが嫌な思いをしないようにするには・・・・俺は決心したように資料を引き出しにしまうと、鍵をかけ帰社した。

 帰り道、俺は家に降りる駅を通り越し有楽町で降り、銀座通りから路地に入ると、一軒の小さな宝石店に入った。
 「いらっしゃいませ」
 「美里、いるかな?」
 「はい。店長、お客ようです」
 店員が声を掛ける。奥から、店長と呼ばれた女が出てきた。
 「おう、美里。久しぶり」
 「いらっしゃい、純平!聞いたわよ。いつか来ると思っていたけれど、早かったわね」
 「尊だろ」
 「そうよ。で、今日は何?彼女の自慢でも言いに来たのかしら」
 「いや、指輪をみせて欲しくて・・・」
 「あら、純平が貴金属をプレゼントなんて、婚約でもしようって言うの?」
 「ああ、そうだよ」
 「ふ~ん・・・・・」
 「何だよ、悪いか?」
 「そうじゃないけど・・・で、どんなタイプが良いの?」
 「あんまりごてごて、していないものを頼むよ」
 「分かったわ。で、彼女、誕生日は何時なの?」
 「8月」
 美里は、ここのオーナーだ。宝石が好きで、自分の店を持つのが夢だった。去年、銀座の裏通りに、念願の店をオープンした。ここに来るのは、オープン記念の時以来だった。美里は、品の良いものをいくつか出してきてくれた。
 「ベリドット、8月の誕生石よ。この石を古代人は『太陽の宝石』と呼んでいたの。意味はね、『魔力を解き放ち、悪霊を追い払う力があると信じられ、物事をはっきりと見据え、問題を解決させる力がある。持ち主の色欲を和らげ精神的に落ち着かせる。戦いでは勇気を与え、夫婦の絆を強力にする』どう?」
 「へ~、そんな意味が有るのか」
 「宝石にはちゃんと意味があって、それを持っていると、個人の力が増すと言われているのよ」
 「そうか、石はそれが良い。あと、もう少し、細いタイプのリングが良いな。つけている感じがしないものが」
 「分かったわ。こっちのプラチナはどう?ベリベットと良く合うわ。石の大きさもバランスが良いと思うし」
 「ああ、良い。名前彫れるかな?」
 「ギリギリね。文字はどのタイプが良い?」
 美里はイニシャルの文字タイプの表を持ってきた。俺は、よくわからないから、美里に任せると言った。
 「じゃあ、ここに名前を書いて。それから、一番大事な事、指のサイズは?」
 「9号だと思う」
 「思うって、純平、聞いてこなかったの?」
 「ああ、ナイショだから・・・」
 「ナイショねぇ、彼女細いの?」
 「さあ、普通だと思うよ。でも、指は細めだな」
 「だったら、9号でも、良いかな。何処の指でも良いからね。それで入らないとかあったら直してあげる」
俺はルカの名前を書き渡した。30分ほど待つと、イニシャル入りの指輪が小さな箱に入ってきた。
 「綺麗でしょう」
 「ああ」
 俺は、ルカの指に光るリングを想像していた。その顔が可笑しかったと見えて、美里が茶化すように言った。
 「まあ、純平らしくないわね」
 「俺らしくないって?」
 「いつもニヒルな純平がって事よ」
 「俺がニヒル?」
 「あら、そうじゃないの?」
 「分からないよ。ところで、いくら?」
 「大盤振る舞い。3万で良いわ」
 「悪いね、はい、3万」
 「お買い上げありがとうございます」
 「また、来るよ」
 「ちょっと待って」
 「何?」
 「これ、私からのプレゼント」
 美里はネクタイピンを差し出した。
 「ふたりが上手くゆくように祈っているわ。純平の誕生石、ダイヤモンドよ。『屈服しない、不屈なもの、侵し難い、征服しえない力のあるもの』と云う意味よ。頑張って」
 「あ、ありがとう。良いの?」
 「良いのよ。気にしないで」
 美里の心遣いに感謝して店をでた。俺の頭の中には、ルカの顔が浮んでいた。ルカの指に、光る指輪を想像すると、どうしても、我知らずにやけてしまう。美里の言った意味を理解する事も出来ずに。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:56 | 第二章 鬼灯
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