7月29日 月曜日 2



 俺は、この喜びをルカと分かち合いたいと思った。直ぐ帰るとメールをいれ、家へ急いだ。帰ると、玄関に管理会社の人間が見える。俺は不審に思って、
 「ルカ、どうした」
 と少し大きな声を出した。
 「あ、佐藤さん、困りますよ。勝手に入居者連れてきちゃ。こっちを通して契約を」
 「ルカは俺の婚約者だ。文句が有るか」
 「婚約者ですか?」
 「ああ、そうだ」
 「しかし、内藤さんが・・・・」
 「隣のババアか。リフォームの為に出て行ってもらってくれ。そう言う契約だろう」
 可哀想にルカは小さくなっている。
 「はい、そう言う契約になっています。なっていますが、内藤さんは先払いで一年間分お預かりしている次第で・・・」
 「俺の知ったこっちゃない。出て行かせられないなら、ババアに何も言わせないことだ。もう、帰ってくれ」
 俺は、管理会社の人間を追い返すと、
 「ルカ、ごめん。びっくりしたろう」
 「大丈夫。それより、どうしたの?こんなに早く」
 「ああ、大口のプロジェクトが決まった!ルカと祝いたくて帰って来たんだ。実際の仕事が始まったら帰れなくなる。今日は一秒でも早く帰りたかった。それに冷蔵庫、空っぽだから、買出しもしたかったからね」
俺は早口でそう言った。
 「おめでとう。じゃあ、早速買い物行きましょう。着替えて来てね。待っているから」
 ルカの優しく元気な声を聞くとウキウキしてきた。管理会社の態度に怒りを覚えていたのが、嘘のように消えてしまった。

 俺たちが買い物に出ると、マンションの玄関で丁度、隣のババアに会った。俺は、
 「内藤さん、丁度良かった、紹介しますよ。こちらは、俺の婚約者です。ルカと言います。今後ともよろしく。では、失礼」
 少し下がった所でルカが軽く会釈した。が、笑いを堪えている。内藤のババアはあっけに取られている。自分がチクッた女が、名前だけとは言えオーナーの婚約者だと分かったのだから、内心慌てたに違いない。入居する時、俺が結婚するときは出てゆく約束で入っている。いくら一年分家賃を払っていたとしても、出てゆかなくてはならないのだ。俺はルカの手を取ると、急ぎ足でその場を離れた。内藤のババアが見えなくなった事を確認すると歩調を緩めた。
 「純たら」ルカは、俺の服を引っ張った。
 「ルカ、ごめんよ。あのババア五月蝿くてかなわないんだ。嫌かも知れないけど、俺の婚約者になっていてくれ。玄関ポストはそのままにするが、ドアの表札はルカの名前も書いておくよ。ルカだって、色々言われるのは面倒だろう」
 「ええ、そうね、その方が私も安心だわ」
 「よし、決まりだ」
 俺たちは顔を見合わせると内藤のババアの顔を思い出して笑ってしまった。道行く人が怪訝そうな、こいつ等頭おかしいんじゃないの?とでも言いたげに通り過ぎて行った。しかし、一度ツボに入った笑いと言うのは中々納まらないものらしい。
 酒屋でワインを買い。肉屋でステーキを奮発し、八百屋で何種類かの野菜を買い、ケーキ屋に寄り、小さいサイズのフルーツケーキも買った。俺たちの両手で持ち切れそうもない量になったが、それでもかぶらを引き抜くように掛け声をかけながら家に帰った。
 キッチンへ荷物を運び、一息ついた所で、堪えていた笑いが蘇った。腹がよじれるほど笑った。笑うことが気持ちよかった。声を出して、涙を浮かべて笑った。幸せな気分だ。笑うことがこれほど爽快な事だと始めて知った気がした。
 ひとしきり笑った後で料理を作った。ささやかだがご馳走だった。外で食事をした方が手間はかからない。しかし、俺はルカと、こうして過ごす事の方が贅沢に思えた。

 小さな食卓にキャンドルを灯し、ワインで乾杯する。静かな時が流れる。穏やかな時の流れは心を満たしてゆく。仕事に入ってしまえば、暫くはこの贅沢な時を共有出来なくなるだろう。俺は今、ルカと過ごしている時間を楽しんだ。ルカがケーキを俺が珈琲を運んだ時、
 「純、お願いが有るの」
 と真剣な顔で言う。
 「またお願いかい?俺で出来ることなら良いけど、何かな?」
 俺は、その真剣な顔つきに複雑な思いを感じながらも笑顔で答えた。
 「あのね、ここで語学の教室を開きたいの。昼間、純が居ない時、部屋を使わせてもらえたらと思って」
 「何でまた?」
 「純が昼間居ないと、私ひとりでしょう。バイトでもしようかと思ったけれど、出来そうな仕事がないの。何時までも純に甘えているのも辛いしね。私には、ほら、英語とフランス語があるから、それを教えられたら良いな~と思って」
 ルカは一枚の紙を差し出した。見ると、スケジュール表だった。
 「パソコンが使いたいって言うのはコレを作る為か?」
 ルカは頷いた。
 「午前中は、近くの奥さん達を対象に、英語で料理を作ろう!と言うのを計画しているの。料金はひとり500円。その代わり、食材を決めて持って来てもらって、料理を作りながら英語に親しんでもらうの。そうすれば、私も料理を覚えられるし、良いでしょう」
 ルカの瞳が、クルっと俺を見た。
 「続けて」
 思わず俺は、仕事口調になる。
 「午後は、学生さんを対象にするの。2時間5000円。堅苦しくなく英会話をして行きたいの。おやつ教室とかも考えているわ。時間は14時から16時。月・水・金で始めたいと思っているの。それでね、水曜の午後だけフランス語を教えたいわ。たまに使わないと錆びちゃうでしょう」
 「それで、人数の制限とかは?」
 「3人から5人ぐらい。それ以上にだと難しいわ」
 「月・水・金意外の要望があった場合は?」
 「増やすと思うわ。でも、始めて見なければ分からないし、土日は絶対に入れない。純一と一緒にいたいから」
 俺は、最後の台詞にドキッとした。嘘でも嬉しい言葉が聞けて、
 「分かった。許そう。下の伝言板に張り紙をしよう。管理会社に電話しておくから。パン屋にも頼んでみよう。あの店はお得意ようだからな」
 「ありがとう」
 ルカは、俺に抱きついてきた。そして、少女がする仕草みたいに手を胸の前で組むと、
 「良かった。ひとりで空を見ているのも飽きちゃうから、何かしたかったの。ひとりって寂しいものね」
 と言った。俺は、昼間この部屋でさほどする事もなくひとりでポツンとしているルカの姿を思った。ルカの寂しさが伝わってくる気がした。
 「そうだな。俺はルカ来てから、寂しいって気持ちがわかったよ。俺、なるべくやりくりして帰るけれど、帰れない日が続くと思う」
 「良いのよ、仕事ですもの。寂しいって言ったら我侭でしょう。だから、大丈夫。プロジェクト、成功しますように」
 ルカは祈っていた。
 「ルカ、クリスチャンなのか?」
 「ええ」
 「ルカって名前はクリスチャンネーム?」
 ルカはチョット困った顔をして、
 「違う、クリスチャンネームは、シエル・ド・マリア、マリアの空って意味」
 「何だか、カッコイイな」
 「でも、変だよ。日本人なのに。それにさ、仏蘭西で生まれたからって、フランス語のネームなのよ。20歳迄は、どっちでも国籍が取れる資格持っていたの。外国暮らしが長いから、仏蘭西国籍でも良かったけれど、日本人だからね。やっぱり」
 「凄いね。日本語は何処で習ったんだい?綺麗な日本語だよ」
 「母よ、父は変な人であまり日本語を使わなかったの。ちゃんとしたって言うのも変だけど、日本人よ。仕事柄だったのね。英語のほかに、フランス語とドイツ語を使っていたわ」
 「それが今役に立っているわけだ。親に感謝しなくっちゃ」
 「感謝・・・・そうね」
 そう言ったルカの表情は何処か淋しげで遠い目をしていた。俺はその表情が気になったが、気付かない振りをした。
 「じゃあ、ビラ作らなきゃ」
 「手伝うよ」
 俺たちはその夜遅くまで、試行錯誤しながらビラを作った。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:57 | 第二章 鬼灯
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