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7月29日 月曜日 1

 その夜、俺はやわらかな夢を見ていた。暖かな日の光を浴びながら俺とルカの傍らに、小さな女の子と男の子がはしゃいでいた。その子供たちを見詰め微笑みあう俺たち。ルカの腕には、まだ生まれたばかりの赤ちゃん。薄い黄色の服を着ていた。ルカが何か言おうとして、赤ちゃんを俺に渡そうとした時、その光景は闇の中に沈みこんだ。俺は不安にかられ、ルカの名を呼び目が覚めた。
 タオルケットがかけられている。時計を見ると、朝の5時だった。隣ではルカが寝息を立てている。『ずっとここに居てくれたのか』昨日の事を思い出す。ルカの寝顔を見ながら、俺は照れた。どんな顔をしたら良いのか?まあ、なるようにしかならないのだから、考えても仕方がないと気持ちを切り替えた。だが、夢が気になった。不思議な夢・・・

 腹っ減らしのルカの為に食事を用意してやろうと、キッチンへ行った。冷蔵庫には、卵が二つとスライスチーズ、蒲鉾しかなかった。冷凍庫には鰯の丸干しが4本あった。小分けしておいた、ほうれん草もあった。まあ、これなら何とかなると思い、作り始めた。スライスチーズと蒲鉾を四角く切り、醤油マヨネーズで和えた。卵は、解凍したほうれん草を入れて厚焼き風にした。丸干しはそのまま焼き、ご飯はおかゆにした。塩を少し多めにしてほうれん草を加える。残りのほうれん草は味噌汁に入れた。
 我ながらひとり暮らしの賜物だと思う。ひとり暮らしだと外食ばかりだと言う奴もいるが、俺は損だなと思う。面倒だというが、こんな楽しみを知らない方が可哀想だと思うのだ。
 食事の支度を終えると、会社への準備を始めた。ビジネススーツに身を包み、ネクタイを結ぶ。書類鞄を玄関に置く。ハンカチだのティッシュだのをポケットへ入れて準備完了。
 ルカの寝顔を見ながら、ひとり食事を取った。それにしても、良く寝るな。こんなに音がしているのに。この分じゃ、地震が来ても起きないんじゃないだろうか?俺はそんなことを想いながら食事をしていた。ふいに目覚ましの音が鳴った。慌てて止めに行く。危ない、危ない。
 しかし、ルカは起きなかった。やっぱり地震でも寝ているタイプだな、ルカは。そして俺は、少し早いが会社に行くことにした。あれこれ想いを巡らせながら書置きをして・・

『ルカ、おはよう。昨日はありがとう。もう、出かけるよ。朝は用意しておいた。昼は適当に食べて欲しい。昼間、何かあったら、この番号に電話をくれれば良い。090―××××―××××、メールならjunpei―s@×××××.comだ。会議中は留守電になっているからメッセージでもメールでも入れておいて欲しい。じゃあ、いってきます。純一』

 今日は、何年かぶりに電車で行こうと思った。朝も早い事だし、電車も混まないだろう。小銭を出して切符を買う。満員電車が好きな奴はそうそう居ないとは思うが、満員電車で通勤するのが嫌で仕方がなかった入社当時。セクションが変わって、車通勤が許されたときは、嬉しかった。最近は社外研修にも行っていないから、電車を利用する機会も少なくなった。少しは勉強もしなけりゃ、秒進日歩のこの業界では井の中の蛙になってしまう。そんなことを考えながら、何年かぶりに電車で会社へ行った。
 途中、別なセクションの同期にあった。
 「よお、純平、珍しいな。お前が電車だなんて。どうした?車検か?」
 「いや、そう言う訳じゃない。何となく気分転換だ。それに、今日は、早帰りしたいしな」
 「仕事人間のお前が早帰りか。どこか具合でも悪いのか?」
 「おいおい、なんだよ、その言い草。俺だって早く帰りたい時もあるさ。この間まで連日午前ようだったんだぜ。やっと、会社泊まりからも開放されたんだ。早く帰りたくもなるさ」
 「あのプロジェクトは、きつかったみたいだな。俺のところは直接関係ないが、噂には聞いていたよ」
 「新規プロジェクトも契約が取れそうだ。だから、その前に骨休めだよ。このプロジェクトが決まれば、また休日返上だよ」
 「まあ、頑張れや。部署は違うが何かあったら言えよ。愚痴ぐらいは聞いてやるよ」
 「サンキュー」
 会社の玄関ロビーで、左右別々のエレベーターに乗り分かれた。奴のセクションは、事業管理部。会社内のインフラ整備や工数管理と言って、SEがどれだけの仕事をしているのかをはじき出す所にいる。プロジェクト予算が予定通り使われているか?他のソフトハウスへの依頼に不正がないか?正しく契約されているのか?等のチェックをする。契約書が交わされていなければ、督促したりする所でもある。俺も、研修を終えると、ここに配属された。しかし、俺の性分に合わない気がして、今のセクションに転属を希望していたのだった。
 入社3年目にして願いが叶い、晴れて移動となった。システム事業本部第一システム統括部第一システム部。やたら長くて数字で表されたこの部署は、会社の中心だ。顧客の要望を聞き、それに見合ったシステムを立案、提供してゆく。その中でも、新聞や雑誌のシステムを担当するチームに配属された。
 そして、入社10年を超え、俺はリーダーになっていた。同期入社の中では早い昇進だ。だから、先輩や同期からは少なからず妬まれた。表立った嫌がらせこそないが、影で色々言われているのは知っていた。事業管理部に残ったあいつが、俺以上に噂に腹を立てた、めちゃめちゃ気の良い奴だ。苦味を噛み潰していた俺を心配してくれていた。俺の仕事が忙しくなると、付き合いも自然に減った。なのに、今朝、変わらない態度で話しかけてくれた。俺はデスクで、ボンヤリと奴の事を考えていた。
 「おはようございます」と、声がした。
 今年入社したばかりの女性スタッフがふたり出社してきた。
 「やあ、おはよう」
 「チーフ、今日は随分早いですね」
 「今日の会議の資料で確認したい事があったからね」
 ひとりのスタッフが「お茶入れてきます」言うが早いか給湯室へ行った。残されたひとりも後を追って行く。『新人に対して、俺の有ることない事伝わっているのか?』少し心配になった。避けていた飲み会だが、ひとつ企画でもするかと思っていた所に、ふたりがお茶を運んできた。
 「ありがとう。そこに置いておいてくれ」
 席へ戻ろうとした新人を呼び止める。
 「チョット良いかな?」
 ふたりの新人は失敗したのかと不安そうな顔をした。
 「少し、仕事にはなれたか?」
 新人の顔を交互に見る。ふたりは頷きあった。
 「そう、ところで、君たち新人は5人居たよね。歓迎会はちゃんとやってくれたかい?君たちが来た頃は目一杯忙しかったから、歓迎会まだなんじゃないかと思ってね。まだなら、直ぐに企画させるよ」
 ふたりの顔に笑みが生まれた。
 「まだだったようだね。悪かった」
 ふたりを席に帰すと、次々に部下が出社し始めた。何時もは遅い俺が、もうデスクにいるのを見ると驚いた顔をしていた。「おはよう」俺から声を掛ける。慌てて「おはようございます」と返事を返してよこした。最後に出社した、入社2年目の小橋を呼ぶと、歓迎会の企画・幹事を任せた。
 「小橋が一緒にやりたい奴をパートナーに選べ。会費は一律6000円。男女で会費の差をつけるな。足りない分は俺が出す。だからといって俺の財布を当てにするな。良いな。じゃあ、任せたぞ」
 小橋はキョトンとしていた。がその顔を尻目に俺はチーム会を始めた。
 昼休み、ルカからメールが入った。
 「純、朝ごはん美味しかった。ありがとう。あのね、お願いが有るの。昼間、純が居ないとき、パソコンを使わせて欲しいの。駄目かな?ルカ」
 俺は直ぐ返事を返した。
 「構わないよ。俺、新しいのに変えるつもりだったから壊しても良いぞ。純一」
 「ありがとう。大事に使うわ。壊したりしないからね。ルカ」
 昼を食いながらニタニタとメールをしていると女性スタッフが冷やかしに来た。
 「チーフ、嬉しそうですね。彼女でしょう?」
 「何でだ?」
 「だって、その携帯会社のじゃないもの。チーフの個人用でしょう」
 「参ったな。そんな細かい所見られたんじゃ・・・・」
 俺は笑った。笑って誤魔化したが、内心観察眼に舌を巻いた。人は俺の事を見ているんだなぁ~と。会社から支給されているものと同機種を選び個人用にしていたのにどうして分かったんだ・・・?気をつけなければと思った。
 食事を終え、俺は行き先ボードに顧客名を貼り付け帰社なしと書き添えると「伊藤、後は頼む。三枝行くぞ」と言い残し社を出た。 
 行き先は新規プロジェクト予定の会社。三枝という奴は言う事は突飛だが、確実なプランニングをする。だから、プロジェクトに起用し原案を任せた。
 今日は、最終的なデモだ。こちらからは、家田統括部長も一緒に値段交渉に参加する。果たして・・・・決まる時には決まるものだ。2時間弱の間に20億の商談がまとまり契約書を交わした。統括部長は、別な顧客の所へ行く事になっているので、顧客の所で分かれた。俺は、書類を三枝に渡し、『後の手続きは新人も入れて行う事』と注意事項を付け、帰社させた。
by karura1204 | 2004-12-01 01:58 | 第二章 鬼灯
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