7月20日 土曜日 3

 展望台に辿りついた時、息が切れた。『そう言えば俺、朝飯のパンを買いに走ったんっだっけ・・・』呼吸を整えると、
 「ルカ、間に合ったよ。夕焼け綺麗だな。月並みだけど、綺麗なものは綺麗だよな」
 俺は、柄にもない事を口走った。『小学生の作文だな』とは思ったが素直な感想だった。彼女は俺の言葉に呆れたのか、傍を離れていた。だが、その事に俺は気付かなかった。

 空が変化してゆく様をゆっくり見られたのは、大学以来だった。日々の忙しさに紛れ、こんなにゆったりとした気分になれたことを俺は感謝した。『素敵な時間をありがとう』と言いたかったのだ。
 日が翳り、頬を風が撫でてゆくまで、俺は夕焼けに見とれていた。一瞬海風が潮の香りを強く運んだ。
 「ルカ、そろそろ行こうか。風が強くなった」
 声を掛けたが返事がない。周りを見渡すと、無数の鍵が掛かっていた。嬉しそうに鍵を掛けている幾組かのふたり連れが視界に入った。手近な鍵を見ると、相合傘に名前が書き込まれている。俺は不安に駆られ、名前を呼んだ。
 「ルカ?ルカ、何処だ!」
 展望台を必死で探す。『返事をしてくれ、頼む』祈る思いで彼女の名前を呼んだ。『ひとりで帰ってしまったのか?』失望感に押し潰されそうになった時、見覚えのあるシルエットが目に入った。『ルカ!』傍へ駆け寄る。俺は、怒りと不安に任せ思い切り、振り向かせようとして手を止めた。彼女は声を殺し、止めどない涙を流していた。その手元には、さっき見た鍵と同じ物が握られていた。相合傘には、仁&伽瑠羅の文字が読み取れた。瞬間迷わず俺は彼女を抱きしめていた。掛ける言葉が見つからなかったのだ。ただ、温もりで包んでやりたいと思った。そして俺は、彼女の翳りの欠片を見た気がした。ここに書かれた、仁と伽瑠羅、きっとルカの本名は『伽瑠羅』そう確信した。気が済むまで泣けば良い。俺がお前の涙を受け止めてやる。言葉にしない分、強くルカの細い肩を抱いた。潮風が俺達を優しく包んでいた。

 どれくらいそうしていたのだろう。周りには人影も無くなっている。ルカは、
 「ありがとう。もう大丈夫」
 と言った。
 俺は回していた手をルカの手に合わせ、ギュッと握った。そうして静かに歩き出した。その時、ふたりの腹時計が鳴った。
 「どんな状況でもお腹って空いちゃうのね。人間って不思議」
 「そうだな」
 昼から何も食べていなかったのだから当然なのだが・・・俺達は、繋いだ手をそのままに、空いている手をお互いのお腹にどちらからとも無く当て笑い出した。笑うと余計腹の虫が鳴った。
 「よし!飯だ、飯」
 「オー、飯だ!」
 「何が良い?チョット戻るけど、美味しいフレンチの店を知っている」
 「フレンチ?」
 「ああ、フレンチと言っても堅苦しいヤツじゃない。気軽に食えるビストロだ」
 「私、フレンチ好きだけど、今日は、純、あなたの車で星を見ながら食べたいわ、駄目かしら?」
 『さっきの話、聞いていたのか』俺の心は熱くなった。
 「駄目じゃないよ。ただし、コンビニ弁だぞ」
 「構わないわ」
 「じゃあ、急いでコンビニに直行!」
 俺達は車まで走った。40に手が届きそうな身体には、この走りはきつかった。足がガクガクしていたが、ルカの前ではそんな姿は見せたくないと見栄を張った。
 車に乗り込むと24時間営業のコンビニを探して入った。時計を見ると21時を過ぎていた。『この時間じゃ、あんまり良いものはないかも知れない』と思ったが、意外にも品揃えは良かった。営業車の為か休日のドライブを当て込んだか、店内も客が多かった。
 俺は、サンドイッチと若鶏の何とかと書かれたスープスパ、それにパックの紅茶を買った。ルカは、おにぎりとサラダ寿司のパックにお茶とあっさり系を選んだ。そして、「おやつに食べましょう」とスナック菓子やガム、チョコと遠足みたいなものを何点も籠に放り込んだ。
レジで金を払う時、スープスパを温めてもらっていると、ルカはいたずらっ子の笑顔で俺を見た。俺は『?』と言う顔をルカに返す。『今にわかるわよ』とでも言いたげな顔をしたルカ。店員から袋を渡され店を出ると、俺は気になって直ぐに聞いた。
 「さっきの笑いは何?」
 「さあ、何でしょう?フフ、後で教える、ううん、解るわよ」
 そういったルカの瞳がクルクルと回った。
 星が良く見えそうな場所を探して、江ノ電沿いを七里ガ浜辺りまで走らせ、駐車場に入れた。先ずは腹ごしらえと、シートを倒して机を作る。出来上がった机にルカは大喜び。
 「へ~、便利なのね」
 「今、こんなのは常識だよ」
 「そうなの?」
 やけにはしゃぐ。なんて不思議な世間知らずのルカ。俺は呆れた。

 シート机に買ってきたものを並べる。その時だ。俺の買ったスープスパのスープが振動で滲み出ていたものだから、シートがスープの油まみれになった。折角綺麗にした車が汚れたのだった。呆れている俺を尻目にルカはクスクス笑った。
 「そんなに笑うな。買った時に気付いたなら言えば良いのに、お前変な所に気付くよなぁ」
 俺はチョット愚痴をこぼした。ルカと言えば、『そんな事に気が付かない方が可笑しいんじゃない』とでも言いたげに俺を見ながら、おにぎりをぱくついている。俺は、ベタベタになったスープスパと格闘しながら食事を終えた。その時ルカが不思議そうに言った。
 「ねぇ、どうして珈琲買わなかったの?」
 「ん?!ああ、偏屈な拘りだよ」
 「拘り?」
 「そう、自販機やコンビニで売っている珈琲は俺の好みに合わない。サ店でも気に入った所しか行かない。偏屈な拘りだよ。特に缶珈琲は口に缶臭さが残るだろう」
 言いながら俺は、珈琲をポットに淹れてこなかったのを後悔していた。
 「そろそろ、星、見よっか?」
 「ええ」
 ルカが頷く。
 ルカにゴミを纏めさせている間に俺は、シートを雑巾で拭き、前後のシートを倒してフラットな状態にした。すると、
 「うわースゴーイ!」
 ルカはまた、感激している。『調子狂うなぁ』
 「ほら、寝っ転がれよ。靴は後ろにでも投げときな」
 俺はルーフと前後左右の窓を開けた。大きいとは言えない窓だが天井からは満点の星が広がる。フロントガラスからも星が降ってくる。プラネタリュウムの世界が、現実の世界として映し出された。俺達は、何かお互いに言おうと思って言葉を捜したが見つからなかった。目の前に広がった世界と一つになり、言葉も無意味だと知った。そして、手を繋ぎ沈黙を言葉として心を響かせあった。ルカはそれが出来る女だった。以前、学生の頃ナンパした女や会社の女を同じように連れてきた事があった。しかしどの女もただ、五月蝿(うるさ)く騒ぐだけだった。だから、その言葉を塞ぐように女達を抱いていた俺。
 しかし、ルカは違った。180度見渡せそうな世界と一つになれる。俺は繋いだ手の温もりに、俺の中の不安がまた少し溶かされていくのを感じていた。ルカと名乗る、伽瑠羅と言う謎のだらけの女によって。
その夜、俺たちは満天の星空の下、そのまま眠りについた。夏の海風が優しく包んでいてくれた。
[PR]
by karura1204 | 2004-12-01 02:03 | 第一章 夏の嵐
<< 7月20日 土曜日 2 7月21日 日曜日 1 >>