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7月20日 土曜日 2

 俺は細めのジーンズを探し貸した。ダボダボのジーンズの裾を幾重にも折り返し、シャツの裾を縛ったスタイルは、彼女を幼く見せた。髪をポニーテールにしたうなじがキュートだった。
 近くのコイン洗車場に行く。既に何組かの車があった。やはり昨夜の嵐で車が汚れてしまった人達だろう。ルカと言う名の女は、コイン洗車場が初めてだったと見えて、珍しそうにしていた。そして、何も出来ない事が判った。俺は、『もしかすると、何処かのお嬢様なのかも知れない』と思いながら車を洗っていた。
 外側が終り内部の床を掃除しようとドアを開ける。此処へ来る時、助手席に座ろうとして「冷たい」とシートに手を当てていたっけ。結局、助手席を諦めてリアシートに移ったのだった。何もする事がなくて、キョロキョロとしている彼女に声を掛けた。
 「ルカ、ほら、バスタオル。これで、シートの水気を取って。この専用ドライヤーで乾かしてくれ」
バスタオルを投げる。
 「は~い!でも、ドライヤーって何処にさすの?」
と甘えた声を出した。
 そこに居た数人の人間がその声に振り向いた。しかし、シートに頭を突っ込んでいる。外から見えるのは、細く長い足と小さなお尻だけ。それを見ていた者と、声の主が見当たらず元の作業に精を出す者とに分かれた。まあ、細い足は俺のダボダボのジーンズで隠れてはいるのだが、俺は、スケベ心で見られる気がして、嫌な気分になり、咳払いをした。勘違いした彼女は、「風邪引いたんじゃない?大丈夫、私のせいね」と殊勝(しゅしょう)な事を言った。俺はそんな態度が可笑しくて笑いをかみ締めた。
 「大丈夫だよ、俺はそんなに柔じゃない。ドライヤーは、此処からコンセントを取る。判るか。此処はルカ、君が座る場所だからな」
 「判りましたー」
彼女はおどけて言った。
 「そっか、よしよし」
顔を見合わせて俺たちは笑った。

 洗車場に来てからは物珍しさも手伝ったのだろう、少し心を開いていると感じた。だから、今みたいに自然に笑みが零(こぼ)れたのだろう。夕べの不安と怖さに満ちた表情が消え、本来持っていると思われる明るさが出てきたのだと思った。
 俺がマットの埃(ほこり)を払っていると、ふいに、 「どうかな、これで?」 と声をかけてきた。俺は、「どれどれ・・・」 と言いながらシートに身体を滑り込ませた。まだ少しヒンヤリしていた。
 「う~ん・・・もう少しだ、頑張れ」
 「え~、まだ駄目?」
口を少し突き出して甘え声になる。
 「駄目なものは駄目だ。あと5分位ドライヤーかけろよ、そしたら自然乾燥だ」
その表情は明らかに不満顔である。少し恨めしそうな目で俺を見た。
 「お前、読解力ないねぇ~。自然乾燥って言ったら、窓全開でドライブだよ。風が乾かしてくれる」
言うが速いが俺の言葉を聞く間もなく
「時間ちゃんと言ってよね。5分よ、5分。約束よ!」
身を翻すとシートに顔を突っ込んでドライヤーをかけ始めた。今までとは打って変わった真剣な表情であった。その態度が可笑しくて、俺は声をあげて笑ってしまった。
 「何が可笑しいの?」
 キッと彼女の瞳が俺を見上げる。少し非難の思いが込められていた。
 「ごめん、ごめん。君の態度の変化が可笑しくてね、悪気はない。謝るよ、ごめんな」
 俺の言葉に仕方ないかと言った表情でまたルカは作業を続けた。俺も、自分の作業を始めた。だが、直ぐにルカは「まだ?後どれくらい?」と声をかけてきた。俺は、ちょっと呆れて、 「まだだよ、始めたばっかりでしょうに」と言った。
 「う~ん、意地悪」
 「ぼやかないの」
 「ハァー」溜息をひとつついた後、諦めたのか、ルカは、せっせと乾かしていった。俺は、そんなルカの事をぼんやりと見つめていた。
 「ねぇ、まだ?」
 「後、1分だね」
 「1分か」
 俺は、時計を見ながら、
 「カウントダウンしてやるよ。15秒前、10秒前、5、4、3、2、1、終了!」
フーッと溜息を吐いた彼女の額には、薄っすらと汗が滲んでいた。
 「バケツに道具をぶち込んで後ろに入れておいてくれよ」
 「え、あなたは?」
と、不安げに聞いた。
 「俺は飲み物を買ってくる。すぐ戻るよ」
 俺は彼女を残し自販機へ向かった。自販機の前に来て俺は、はたと気が付いた。『何が良いか聞かなかったな・・・』暫く自販機の前で考え込んでしまった。後から来たふたり連れに催促され、やっと気が付いた程ボンヤリ考えていた。ふたりに先を譲り、俺は諦めたように同じ物を買った。彼女が嫌いな物だったらと考え、小さなサイズにした。急いで車に戻ると
 「遅いじゃないの。何していたの?」
 と詰(なじ)った。
 「自販機が一台しかなくて混んでいたんだ、待たせて悪かった」
 この一言で俺の心はキリキリと痛み出した。
 「聞くのを忘れたから、ルカ、君が好きかどうか解らないけど、これ」
 そう言ってオレンジジュースの缶を差し出した。彼女は照れた顔で
 「ありがとう、オレンジジュース好きよ、私も怒鳴って悪かったわ」
 気まずい空気が一瞬流れた。その流れを変えるように俺は、努めて明るく
 「じゃあ、出発だ。海にでも行こう。明日も休みだからゆっくり出来るぞ。さあ、乗った、乗った」
 後ろのドアを開け彼女を乗せた。俺は運転席に乗り込むと慣れた動作で車を発進させ、音楽を無意識にかける。バックミラーでリアシートの彼女を見ながら、
 「窓全開だから、寒かったら自分で調整してくれ。後ろにタオルケットもあるから掛けて良いぞ」
 声を掛けたがダンマリで、じっと外を見ている。強い語調で俺に言った事を気にしているのか?それとも・・・さっき見せたあの屈託のない態度は嘘だったのか?俺は、車を走らせながら色々な事を考えては不安な気持ちになった。だが、あの一点の曇りもない笑顔や明るさが彼女の本来の姿なのだと思う。何か、人には言えない事を体験した、そのせいで明るさに翳(かげ)りが生じてしまったのだろうと。
 「ねぇ、海って何処まで行くの?」
窓の外を見ていたと思ったルカが、ポツリと聞いてきた。
 「別に決めてないよ。何処にでも行ける。海に拘る必要もない。ルカ、君が行きたい場所があるならそこを言ってくれ。俺は構わないから」
小首を傾げ考えている彼女が見えた。このルカと言う女は思索する時首を傾げる癖が有るらしい。夕べも・・・・ふいにニッコリ笑うと、身を乗り出して俺の肩越しに言った。
 「江ノ島が良いわ。江ノ島から海沿いの道を走りたいの。駄目かしら?」
 「構わないよ。この時間だと江ノ島に付くのは夕方だ。夕日が綺麗だよ、きっと」
彼女の顔は輝いた。その笑顔に俺は見取れた。綺麗な笑顔だ。夕日に染まる海と・・・・・・俺はアクセルを踏む足が軽やかになっていた。

 「ただなあ、海沿いの道を走るのは夜になるがそれでも良いか?何も見えないぞ」
彼女は暗い表情になった。そして、「そう・・・」と言ったきり、また黙った。
 「江ノ島で泊まるか?七夕は終ったけど、星も綺麗でロマンチックだぞ。日の出も見られるし、朝日の道を走ってゆける。どうする?車で寝たって良い。この車、シートがフラットになるタイプだからゆっくり出来る。海を見ながら食事したって良い」
 だが、答えは返ってこなかった。ただ外を見ている。俺は、軽やかな気分になったばかりだというのにイラついてきた。あの笑顔は一体何だったんだ?江ノ島を見ながら走る海沿いの道。きっと彼女にとって楽しい思い出のある場所なのだろう。と同時に嫌な思い出でもあるのか?まあ良い。黙っているなら俺も黙っていよう。根競べだと思った。

 それにしてもと思う。このルカと言う女は俺が付き合ってきた女達と全く違うと。出逢いが衝撃的過ぎたからかも知れないが、それだけじゃないと感じる。上手い表現方法が見つからないが、ルカには俺自身を変えてしまいそうな何かが、心を突き動かされるものを持っていると感じるのだ。今までの俺に無かった、そう欠けていたものを埋めてくれる何かが・・・。
 中高の時の俺は、不良少年と言う名前をほしいままにしてきた。毎日が喧嘩三昧(ざんまい)の硬派だった。まあ、好きな女の子はいたし、興味は多いにあったのだが、哀しい事にどう接して良いのかが解らなかった。毎日、毎日痣(あざ)や傷を作っては、それが男の勲章とばかりに思っていた。
 中学を卒業と同時に、4月生まれの俺は、直ぐ原チャリの免許を取った。その後、次々と二輪免許を取得して、ナナハンを乗り回す日々が始まった。スピードを感じて走るのは気分がHighになれた。喧嘩よりも楽しかった。俺より早い奴など居ないと自惚(うぬぼれ)れていた。そんな時、俺は自損事故を起した。バイクはめちゃくちゃだった。最初にバイクを見たおまわりは駄目だと思ったし、両親も即死だと覚悟していた。しかし俺は、ぐしゃぐしゃになったバイクの横でメットを持って立っていた。現場に来て俺を見た時、幽霊だと思って叫び声を上げたのはお袋だった。引き攣(つ)ったオヤジの顔が可笑しくて笑ったら、ボコボコに殴られた。それから俺は、バイクとオサラバした。
 だが、懲りない性分は治らず、今度は車の免許を取った。大学に入ってからは車を乗り回し、女と寝る事しかないくらいに遊び回った。それまでの硬派な生活は一変、ナンパ人生の4年間になった。4年で卒業できたのが不思議だと仲間からよく言われた。就職も誰より先に決まった。しかし、俺の中の言い知れぬ不安は拭えなかった。めちゃめちゃだった中学からの10年間。喧嘩、バイク、車、女・・・・人殺しと薬以外は何でもやってきた俺だった。
 大学の卒業旅行を終えてからの俺は、また生活を変えた。真面目なサラリーマン道まっしぐらに進んだ。だが・・・・いや、この時は変えざるを得ない事が、俺の身に降りかかったのだ。就職して半年経った辺りから、仕事関係の付き合いを極力避けるようになった。学生時代と違い、仕事が絡んだ付き合いは疲れた。だから、心のバランスを保つためにのめり込まない付き合いに気を使った。考えてみれば馬鹿な話かも知れないが、それでなんの不自由なく生き、家で淹れた自分の為の珈琲に安らぎもあった。仕事場で知り合った女と恋らしきものもした。でも、俺の中にずっとある、しこりのような不安を解消してくれることにはならなかった。
 次第に仕事に夢中になっていった。バランス感覚なんて偉そうな事を言っていたが、毎夜帰り着くのは深夜1時、2時。休日返上で、有給も毎年会社が買っている状況だ。
 そう、昨日だって、連日の徹夜が終ったばかりだったのだ。神経が高ぶっていたのは確かだった。が、そればかりでは説明の付かない何かが俺にこの女を拾わせたのだ。
 そんな事をぼんやり考えていると、左手に江ノ島が見えてきた。空と時計を交互に見る。思ったより早く着いた。彼女も気付いている筈だ。特徴のある島が見えているのだから。 
 俺は、バックミラーをチラッと見て、近くの駐車場に車を止めた。

 「着いたぞ、此処から先、江ノ島まで歩こう」
俺は車を降りた。彼女は遠い目をして江ノ島を見ている。俺は、伸びをした。流石に腰が疲れた。『睡眠不足だったからな』欠伸をしながら、ドアを開けてやった。
 「疲れたか?」
 はじかれたように俺を見ながら、
 「ごめんなさい。考え事していたの」
 そう言うと車をゆっくり降りた。俺は彼女に笑いかけ
 思ったより早く着いたよ。あの橋を歩いて行こう」
 半ば強引に彼女の手を取り歩き出した。俯きがちに手を引かれ歩く。自分から行きたいと言い出した場所なのに、何かに怯えている感じさえ伺える。江ノ島への橋を渡り終えた辺りで、空がほんのりと茜色の薄墨を流した具合になってきた。
 「急ごう、展望台に着く頃には綺麗な夕焼けになる」
俺は手を強く握り締め駆け出した。彼女の瞳に映った夕日を感じながら・・
by karura1204 | 2004-12-01 02:04 | 第一章 夏の嵐
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