7月20日 土曜日 1

 朝の日差しが眩しく光り、窓からは抜けるような青空が広がっていた。
俺は眩しさと腕に感じた重みで目を覚ます。重みの原因を隣に発見、苦笑いを一つする。女の頭をそっと外すと目覚めの珈琲を淹れに、キッチンへ向かった。
 サーバーの残りをアイス用のボトルに移し変えていると、夕べのアクシデントが俺の心に蘇った。女の唇の感触を思い出し手が止まる。窓の外へ目をやると、太陽が照りつけ蝉の鳴く声が聞こえた。俺はその声で現実に引き戻され、手早くリビングを片付けながら朝食の支度に取り掛かろうと、パンストックを開けた。しかし、パンは無かった。『シマッタ、切らしたか・・・・』時計を見る。時刻は十一時を指していた。この時間だと、お気に入りのパンが焼き上がる頃だ。俺は火を消すと家を飛び出した。
 気持ちのよい天気の道には、所々水溜りが出来ていた。日差しを受けキラキラと輝いている水面を跳ね返しながらパン屋まで走った。ドアを開け店内に入る。おばさんの元気の良い声が響く。
「いらっしゃーい。焼きたて出来ていますよ」
 俺は、お気に入りのパンと食パンを一斤と調理パンを適当に見繕いレジへ急いだ。早々に支払いを済ませ、今来た道を取って返すと、一目散にマンションへ駆け戻った。『俺は何を急いでいるのだろうか?』そう思ったが、走らずにはいられない俺がいた。
 玄関前に着いた時、鍵を閉め忘れた事に気付く。胸を過ぎる、言いようのない不安。何かがキリリと痛みを連れて来た。そっとドアを開け、パンをテーブルに置く。女が寝ている部屋のノブに手をかける。空けるのが怖いと感じていた。出て行っていたら・・・複雑な気持ちでノブを回す。細くあけたドアからストーカー行為でもするようにベッドを見た。実際そんな気分だったのだ。女は微かな寝息をたて、まだそこに存在していてくれた。俺はホッとしていた。と同時に、『俺は何を考えていたのだ?』と思った。モヤモヤした気分だった。そして、胸の奥がまた、キリリと痛みを感じた。持て余した想いをどうする事も出来ないまま、ボンヤリと遅い朝食と昼食の支度を再開した。
 何時もはひとりのテーブルに、カップと皿を2つずつ並べた。飾り気のないテーブルが、それだけで華やいだ。何時しか、モヤモヤは消え、浮き立つ気分で食事の用意をしている俺がいた。
 皿に盛られたプレーンオムレツとレタスのロールサラダ。近所の家庭菜園をやっているおばちゃんに貰ったフルーツトマト。手作りの苺ジャムを添えたフレンチトースト。それ自体で美味しいお気に入りのパンをスライスしてパンバスケットに盛った。
 仕上げに、モーニングアメリカンをカップに注ぐ。すると、珈琲の香りは食欲をそそるように立ち上(のぼ)った。その瞬間、俺の腹は、珈琲によってスイッチが入り鳴り出した。用意をしている間、女が起きて来ないか心配だったが、今は早く起きて欲しい。兎に角、腹に何か詰め込みたい心境なのだ。腹の虫が鳴り、テーブルに目を落とすと、ナイフもフォークも出していなかった事に気付いた。慌てて、ふたり分のナイフとフォークを探しているとドアの開く音がした。振り返ると女がシャツのまま出てきた。
 俺は、探し終えた物を持ってテーブルに着き、
 「おはよう、ゆっくり寝られた?食事出来ているよ。もう、お昼だからブランチとも呼べないけど・・・・あ、まだ、眠い?なら先に食べるけど、どうする?」
と早口で問いかけた。
 女は眠そうに目を擦りながら首を振ると、テーブルに着いた。寝ぼけ眼で「おはようございます」と返し、テーブルに並んだ料理を見て驚きの声を上げた。
 「凄い!これ、あなたが・・・・?」
信じられないとでも言いたげに俺を見ている。
 「そうだよ、何せしがないサラリーマン。ひとり暮らしが長いと色々やる。仕事も不規則だから、朝ぐらいしっかり食べないと身体が持たない。それより、冷めないうちに食べないか。味は保証しないけどね」
 俺は一気に喋りパンにかぶりついた。女は暫く俺とテーブルを交互に見ていたが空腹を覚えたのだろう。一口、口へ運び込んだ。「美味しい!」そう言うと、少しずつ料理を試して行った。そして、その都度「美味しい」を連発していてくれた。

 食事の最中俺は女に質問しなかった。黙々と美味しそうに、俺の作った物を食べる姿を目で追っていた。日の光を浴びながら、美味しそうに食べる目の前の女に、俺は不思議と満足感が広がって行くのを感じていた。
 IT産業などと持て囃され、ただ忙しいだけの毎日が、目の前の女のおかげで、癒(いや)されてゆくのだった。
 女が珈琲を飲み終えたのを見計らって「お替りは?」とサーバーを上げ、自分のカップに注ぎながら聞いた。「頂くわ」の言葉を合図に俺は名前を聞いた。他にも聞きたい事は有ったが、今はそれだけで充分だと思った。
 「一つだけ教えて欲しい」
 俺はカップを持ち窓辺へ行くと女に向き直ってそう言った。女は躊躇ったが、食事のお礼のつもりだろう「何?」と少し高圧的に答えた。
 「俺の名前は、佐藤(さとう)純一(じゅんいち)、通称、ジュンペイだ。君の名前を教えて欲しい。質問はそれだけだ」
 女は考え込んだ。沈黙があった。俺はその沈黙が怖くて、
 「本名じゃなくても良い。呼ばれ慣れたあだ名、通称で構わない。俺の事は、ジュンでもジュンペイでも良いから、そう呼んでくれ。俺は、君の名前を聞いたからって、何もしない。どう君を呼んだら良いのかだけだ」
暫く考えていたが、やがて、
 「ルカ・・・佐伯(さえき)ルカ」
女は搾(しぼ)り出すように名乗った。きっと、偽名だろうと思ったが、
 「ルカ、良い名前だ。じゃあルカ、早速で済まないが、車を洗うのを手伝ってくれないか。昨日の雨でドロドロだ」
 俺は笑顔でルカと名乗った女に言った。
 「そうだ、車を綺麗にする前に、君の服も何とかしなきゃ。その格好じゃ外にも出られない」
彼女は自分の格好に気付きシャツの裾を今更ながらに押さえると「そうね」と笑った。
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by karura1204 | 2004-12-01 02:05 | 第一章 夏の嵐
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