「ほっ」と。キャンペーン

カテゴリ:第三章 黒点( 11 )

黒点



やわらかな風
心 ゆらぐ

君からそよぐ風は
やわらかな日差し運ぶ
あたたかく



凪の海
穏やかな 時

軋ませた胸の痛み
記憶の底さえ吹き消した
君の微笑み



きらめく朝
心 はずむ

歌声が 木霊する
木漏れ日の中に揺れる
君の後ろ姿



そっと 君を
抱きしめる ずっと

君に出会えたこと
僕は 全て 感謝するよ
大好きな 君
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by karura1204 | 2004-12-01 01:52 | 第三章 黒点

8月3日 土曜日

 夏の日差しが部屋を照らしている。暑いはずなのに、俺は寒気がした。隣にいたルカがいない。寝ぼすけのルカは?ボーっとした頭で起きると、パジャマを着た。昨夜は裸で寝たせいか冷たすぎるシャワーを浴びたせいか、それとも両方なのか・・・ドアを開けた。ルカはパソコンに向かっていた。
 「おはよう」
 「あ、おはよう。もう、11時過ぎているわよ。簡単だけど、食事もあるわ」
 「食欲ないわ。悪い」
 「珍しいわね、純が寝坊するなんて。でも、土曜日だから、良いか」
 俺は、ルカの声を背中で聞き欠伸をしながら洗面所へ言った。そう、トイレに入って用を足したまでの記憶はあったのだが、顔を洗おうとしてドアに手をかけ、俺は倒れた。物凄い音がしたらしい。
 「純?どうしたの?純、純一!」
 遠のく意識の中でルカの声だけが響いていた。
 俺が気付いた時は、ベッドの上だった。頭には氷まくら、両脇と両足の付け根にはブロックアイスがあった。
 「良かった、気がついた」
 何か喋ろうとしたが声にならない。
 「喋らないで。風邪だって。少し疲れも有ったみたい。 緊急だったから、パソコンに入っていた住所録を見て、純のお友達に電話したわ。勝手に見てごめんなさい。でも、直ぐにお医者様を連れて来てくれたの。もう、ビックリ。純をベッドに運ぶの、ひとりだったの。身体が熱かったから心配しちゃった。何か食べられそう?」
 ルカは興奮気味に喋った。余程心配し、慌てていたのだろう。だが、俺は首を横に振っただけだった。
 「じゃあ、水分だけでも取ってね。マズイだろうけれど、冷やして有るから、気持ちサッパリしていると思うわ」
 スポーツドリンクにストローを付けてルカが持って来た。零れないようになっている。吸い飲みの感じで飲ませてくれた。熱で火照った身体には冷たくて美味しい気がした。
 「汗が出ているから着替えましょう」
 パジャマを着替えさせてくれた。着替えると、気持ちが良くて俺はまた眠った。
 2時間位経つと目が覚める。その都度ルカは氷を変え、パジャマを変え、水分を補給してくれる。0時を回った頃、解熱剤が効き始め、ぐっすりと眠った。
 しかし、その間もルカは小まめに汗を拭き、リンパ線を冷やしてくれていたらしい。俺は知らずに眠っていたが、ルカは一睡もせず看病していてくれた。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:51 | 第三章 黒点

8月4日 日曜日 1

 翌朝、俺はキッチンからの良い匂いで目覚めた。まだ、ふらつくが、トイレへ立った。
 「おはよう」
 「純、おはよう。もう熱は下がっているわ」
 キッチンから声がする。トイレから出ると俺はクッションの所へ横になろうとした。すると
 「純、辛いだろうけれど、顔を洗って。口ゆすいできて。少しで良いから食べてね」
 「食欲ないよ」
 「しょうがないわね。じゃあ、着替えてベッドに行っていて。ソファベッドは駄目よ。お日様に干すから」
 俺は言われた通りにした。ベッドに横になると、ルカの香りがした。俺はルカの香りに包まれ、一昨日の夜を思い出し反応してしまった。何もこんな時にとも思うのだが・・・・身体は正直だ。
 「純、ちゃんと寝た?」
 ルカが熱いタオルと水の入ったコップに洗面器を持ってきた。俺は、慌てた。
 「はい、身体拭いてね。顔もよ。コップ置いておくから口もゆすいで、ここに出してね」
 そう言うとキッチンへ行った。俺は、ホッとして、また言われた通りにした。熱いタオルのおかげで身体は元に戻った。
 次にルカが入ってきた時は、お盆におじやと野菜スープが乗っていた。
 「少しベッドに腰掛けて待っていてね」
 使い終わったタオルやコップを下げに行った。俺はベッドに座り、ルカを待った。
 「お待たせ」
 取り皿と蓮華を持って来て、よそってくれた。
 「はい、あ~んして」
 「おいおい、子供じゃないんだからひとりで食えるよ」
 「駄目よ。ひとりじゃ、ひと口ふた口しか食べないでしょう。はい、口開けて」
 俺は、ちょっと困った顔をした。しかし、ルカに見つめられ覚悟を決めた。『もう、こうなったら自棄(やけ)だ』ルカの言う通りにするしかない。俺はルカに食べさせてもらった。気恥ずかしかったが、何も食べなかった胃に、おじやが染み入るように入って行った。野菜も柔らかく煮てあって美味しい。なんだかんだ言って、半分以上食べてしまった。
 「ルカは、良い奥さんになるな」
俺はボソッと言った。
 「そうかな?」
 「ああ、俺が保証する」
 「じゃあ、純のところへ行くわ」
ニッコリ笑った。
 「頼むよ」
 俺はマジに言った。嘘や冗談なんかじゃなく、ルカが側にいてくれることで俺は安心していられたのだ。見守られているという安心感に俺は酔っていた。
 「さあ、少し眠って。眠れなくても、横になっていてね」
 「わかった」
 ルカは、食事を下げると、ソファベッドをベランダへ運んで行った。ここの最上階はテラスタイプのベランダだから、余裕でソファベッドが置ける。今日の日差しもきつそうだ。これなら半日も干せばふかふかになる。布団は丸洗いできるタイプだから、今頃は洗濯されている頃だろう。
 俺は、隣で細々働くルカのことをあれこれと思い巡らせていた。だが、余程疲れていたのだろう。考えている間に俺は眠っていた。
 そして、俺はまた夢を見ていた。この間見た、不思議な夢とそっくりだった。海辺を散歩していた。ルカの腕には、また赤ちゃんが抱かれている。微笑みながら俺に手渡そうとした瞬間、ルカは赤ちゃんと共に闇に消えたのだ。俺は、必死でルカの名前を何度も叫んだ。俺のうなされた声に、ルカが驚いて来てくれていた。俺の名を呼び揺り起こした。
 「純、純?どうしたの?起きて・・・純」
 「ああ、ルカ・・・・・」
 「嫌な夢でも見たの?うなされていたみたいだけど」
 「大丈夫だよ」
 「そう、ならいいけれど・・・・」
 まさか、ルカが消える夢だとは言えない。俺は、笑顔を作ると
 「仕ことの夢だ。システムが上手く行かなくて青くなっていたよ。気を引き締めろってことだろうな」
 と嘘を付いた。ルカは、不安げな表情を見せたが、
 「ちょうど良いわ。もう、お昼だし、夜きちんと寝るために、今からは起きていないと駄目なのだってお医者言っていたから、起きましょうね」
と、キッチンへ行った。
 俺は、ホッとしたが、ルカに嘘を付いたことが引っ掛かった。それにしても、ご丁寧な医者が来てくれた。生活面まで指示していったとは・・・・・
 「ところで、誰に聞いた?」
 寝ぼけ顔でリビングへ行くと聞いた。
 「え~っと、安東さん。安東誠さん。一番上にあったから」
 「そっか。誠か。でも、あいつよく家にいたな」
 「何でも、ショーが終わって、丁度家に帰った所だったんですって。私、どうしようと思ったけれど、純のことが心配で、上から順番に掛けるしかないと思っていたのよ」
 「それは迷惑掛けたな」
 「ううん、それは良いのよ。それより、安東さん、私のことを奥さんだと思っているわ。説明していると長くなるから、家内ですって言っちゃった。で、当直明けのお医者様を連れて来てくれたの」
 俺は、目を丸くした。とっさに家内ですだなんてよく言えたと思う。何か言おうかと思ったが、ルカのことだ。言っても無駄だと思い、言うのをやめた。
 「誰かな・・・?後で礼を言わなきゃ」
 「今日は家にいないそうよ。何か有れば携帯にしてくれって言っていたわ」
 「わかった」
 俺は席についた。テーブルには薬膳粥の具が並び始めていた。
 「栄養取らないと駄目よ」
 白粥がテーブルに置かれた。
 「苦い物が有るかも知れないけれど、食べてね。お医者様が、今日のレシピをFAXで送ってくれたから色々 作れたわ。夜も期待していてね」
 「ありがとう。何度礼を行っても言い足りないくらいだ」
 「良いのよ。さあ、冷めないうちに食べて」
 「ああ、いただきます」
 「いただきます」
 俺たちは、白粥にトッピングの具をあれこれ入れて食べた。
 「粥も、こう具が多いと楽しめるな。粥って言ったら、七草か梅干やオカカがポピュラーだけれど、これなら食欲も刺激される」
 「ええ、お医者様もそう言っていたわ。中国では白粥ではなく、漢方薬入りですって。でも、それだと日本人には馴染めないから、白粥で構わないって」
 「成る程ね」
 「干し椎茸を戻して甘く煮たり、白子(しらす)に刻みねぎを混ぜたものにお醤油や味噌を加えたり、朝鮮人参の代わりに、人参をすりおろしてそこへ、粉末のウコンを混ぜても良いそうよ。勿論、たらこやシャケ、サッパリした梅干も。梅干には、オカカや紫蘇の葉を混ぜても美味しいんですって。今度作ってみるわ」
 ルカは楽しそうに話している。俺はルカの話を聞きながらいつしか元気になってゆくのを感じていた。そして、ただ元気が出ると言う単純なことではなく、心に暖かいものを感じていた。ルカからもたらされるあたたかさ・・・・穏やかな気持でいられる自分が不思議でもあった。何か張り詰めていた様々なものが癒されている。俺は、ルカに感謝してもしきれない想いが溢れた。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:51 | 第三章 黒点

8月4日 日曜日 2

 「食後の珈琲は明日からよ。今日は胃を休めなさいだって」
 「大丈夫。飲まないから。気分はもう、大分良いけどね。それよりルカ、君の方が疲れているんじゃないのか?」
 「私は平気よ。何て言っていっても、純より10も若いのよ」
 「ハハー御見それいたしました」
 「エッヘン!」
 俺は眩しい思いでルカを見詰めた。
 「でも、無理するなよ。ルカが倒れたら、俺どうして良いか分からなくなるから」
 「ええ、無理はしないわ。昼間、純がいない時、お昼寝するから大丈夫」
 「明日は月曜日だぞ」
 「今晩ゆっくり寝れば平気よ。ごちそうさま」
 「ごちそうさま。美味しかったよ」
 「ありがとう。じゃあ、純、お皿洗って。生活を元に戻すために動きましょう。私は洗濯物をするから」
 「はいはい、何でもルカの言う通りにするよ」
 俺は流しに皿を運ぶと洗い始めた。ルカは衣類等の洗濯物を干し始めた。それが済むと、朝洗ったタオルケットや汗取りシーツをさわり、乾き具合を見ている。汗取りシーツは既にふかふかになっているらしく、部屋に取り入れた。直ぐにはたたまず、部屋に椅子を並べた所に掛けている。
 「何でたたまないの?」
と聞くと、
 「熱がこもるから。このままたたんでしまうと、押入れが熱で水蒸気が発生して、カビの原因になるのよ」
また、ベランダに出ると、ソファベッドを触っている。乾き具合を見て寝転ぶと、満足気な笑みを浮べ寝室へ運んだ。そして、また次の洗濯物を始める。
 次から次へと、手際よく作業してゆくルカ。洗車場へ行った時から見ると、えらい変わりようだ。俺は、食器を洗い終えると、見飽きることなくルカの動きを目で追った。本当に良く動く。その細い身体に、よく力があるものだと半ば感動していた。
 風邪とは言え、倒れた俺をベッドまで運び着替えさせる。相当の力が必要だった筈。元は俺の不注意からなのに、愚痴1つ言わず作業をしている。ルカは、もはや俺にとって大切と言うより、もっと大きな存在になっている。ルカが側にいない生活はもはや考えられないと痛感した。
 だが、ルカから見れば、俺は同居人で、助けられたという負い目がある。行くあても無ければ、仕事もない。それがここにいられて、なおかつ仕事場としても使えるのだから、必死で俺のために働いているのだと、穿(うが)った見方も出来る。しかし、ルカを見ている限り、そんな風に考えることの方がおかしいと思える。それ程、ルカは俺に尽くしてくれていると思えた。
 「純、ボンヤリして大丈夫?疲れたかな」
 「ん、いや、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていた」
 「仕事のことなら、少し忘れないと駄目よ。心労もあったみたいだし、さっきも夢にうなされていたでしょう」
 「いや、仕事じゃない」
 「じゃあ、何を考えていたの?」
 「言わなきゃ駄目?」
 「ええ、心配だもの」
 ルカの瞳は、じっと俺を見詰めている。俺はどうしようと思ったが、心配そうに見詰めるルカが愛しくて、正直に言った。
 「ルカのこと」
 「え?私のこと?」
 「そう、ルカのこと」
 「何で?」
 「何でって、良く動くな~と思ってね。細いくせして力持ちだな~とか、ご飯美味しかったな~とか、夜は何を作ってくれるのだろう?ってルカのことを考えていた」
 ルカの顔がポッと赤くなった。
 「もう、純ったらー、恥ずかしいじゃない」
 「俺も言って恥ずかしいよ。だから言いたくなかった」
 そう言うと、ルカを見詰めた。ルカも俺を見詰める。俺 がルカを抱きしめようと思った時、ルカはそれをかわす様に言った。
 「そうだ、少し散歩したら、パジャマばかりでいるとかえって良くないわよ。さあ、さあ」
 パジャマを脱がせてゆく。トランクス一枚にさせられ「着替えてきて」と寝室へ追いやられてしまった。ルカは、今まで来ていたパジャマも、鼻歌交じりに洗濯を始めた。俺はTシャツと短パンに着替えてリビングへ行った。
 「ルカ、これで良いか?」
 ルカは俺の格好を見ると、
 「靴下も履いてね。暑いからって靴下を履かないのは駄目なのよ」
 まるで母親のように言う。俺は叱られた子供のように、
 「はいはい、仰せの通りに致します」
と靴下を履きに行った。白い棉の靴下を履いて、
 「ルカ、これで良いだろう?」
と声をかける。
 「よく出来ました。はい、帽子」
用意の良いことこの上ない。
 「長時間は駄目よ。その辺を少し歩いてきて。そうだわ、パン屋さんに寄って、食パンと米粉のパンを買ってきて。お願いね」
 「分かりました」
俺は、おどけて言うと、財布と携帯を持ち外へ出た。

 プラプラと散歩をする。日差しは少し柔らかくなっていた。日差しまでも計算して散歩をさせていると思った。医者から言われているのだとしても、細かい所まで気を配り、計算が出来る。そんなルカを俺は尊敬してしまう。会社の人間に、ここまでの気配りが出来る者はいない。秘書課の人間も敵わないと俺は思った。
 俺は、近くの公園へ行くと、ベンチに腰を下ろした。公園に来ている親子連れをぼんやり見詰めながら、俺は夢のことが頭に浮んだ。『これで二度目だ。ルカが消えた夢は・・・・・・』
 俺は、ルカが本当に俺の前から消えてしまうのではないか不安になってきた。俺は、ルカがいない生活など考えられなくなっていた。だから、夢のことが気になって仕方がない。夢のことをぼんやり考えていたその時、誰かの携帯が鳴った。その音に反応し『あ、そうだ、誠に電話をしよう』と思い立ち電話をした。誠は直ぐに出た。
 「安東です」
 「おう、俺だ」
 「純平、大丈夫か?」
 「ああ、大丈夫だ。迷惑掛けたな」
 「気にするな」
 「お前、医者連れて来てくれたんだってな」
 「ああ」
 「誰だ?」
 「碧だよ」
 「ミドリ?」
 「女じゃないぞ、紺碧の碧だ」
 「紺碧のミドリ・・・ああ、あいつか!」
 「そうだ。あいつん家、医者だろう。嫌だ、嫌だって言っていた碧が、今じゃ跡継ぎで頑張っているよ。まだ、大学病院にもいるがな」
 「そうか、碧か。懐かしいよ。今度会おうぜ」
 「ああ、言っておくよ。それより、純平、お前、彼女と暮らしているのか?尊から電話を貰った時に、お前に彼女が出来たって喜んでいたから、ビックリしていたんだ。まさか、その人から電話がかかるとは思わないから、二度ビックリだったぜ」
 「そうだよな」
 「そうだよ、表札を見たら、連盟になっているし、それに、佐藤の家内ですって言ったんだから」
 「ああ、ルカも言っていた。何て言えば説明できるか分からなかったから、そう言ったって」
 「頭の良い人だな」
 「ああ、それで、まだ皆には、一緒に暮らしていることは言っていない。暫く内緒にしておいてくれないか」
 「良いよ。確約は出来ないかもしれないけどな」
 「頼んだぜ」
 電話の向こうで誰かの声がした。
 「忙しいだろう。また電話するよ。じゃあ、また」
 「おう、またな」
 俺は電話を仕舞った。
 誠の良い所は、余計なことを言わない所だ。尊のようにお節介はしない。だが、いざと言う時は頼りになるやつだ。ふと、ルカは、尊と誠の良い部分を共に持っていると思った。どうしても思考がそこへ向かう。『そうだ、パン屋だ』ルカのことを考えていたら、頼まれていたことを思い出した。慌ててパン屋へ行き、頼まれたパンを買って帰った。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:50 | 第三章 黒点

8月4日 日曜日 3

 玄関のノブを回すと鍵がかかっていた。ポケットを探したが、鍵を忘れたことに気付き、俺はブザーを押した。鍵の開く音がして、
 「お帰り。早かったわね。もう少しゆっくりでも良かったのに」
 と言われた。『折角焼きたてのパンだから早く帰って来たのに、そりゃあなよな』と思い、
 「それは悪うございました。ご期待に添えなくてすみませんね」
 と言ってしまった。ルカの表情が曇った。
 「そんなつもりで言ったんじゃないの。ごめんなさいね」
 ルカは微笑みながらパンの袋を受け取るとキッチンへ行ってしまった。俺の心臓はチクチクと痛みだした。 ルカは、俺のことを気遣って、昨日から大変な想いをしていた。ろくに寝ていない筈だ。明日からの仕事のことを考え、散歩にもと言ってくれたのだ。それに、自分の身体を休める時間だって必要だった筈だ。俺は情けなかった。ルカの気持ちを無視して嫌味を言ったのだから。俺は・・・・・
 しょんぼりとクッションに寝転んだ。何か言わなきゃと思うのだが、上手く言葉に出来ないでいた。
 俺は仕方なくテレビを点けた。日曜と言うのは、何も面白いものはならしい。何処がおかしいのか理解に苦しむ若手の笑い人たちが、ブラウン管の中でドタバタとやっていた。そういえば、大学時代、演劇部だった実に誘われ、地下劇場に行ったことがあった。スラップスティックとか何とか言っていた気がする。やたら動き回る舞台だった。実は、「凄いだろう」を連発。翌朝まで講釈に付き合わされた。が、俺には理解不能の世界だ。

 チャンネルを変え、あれこれとサーチしていたら、馬鹿っぽいふたり組みの笑い人と、子供からおばさんまでも人気が有るという男性タレントが出ている番組をやっていた。俺はチラッと見てテレビを消した。すると、ルカがキッチンから声を掛けた。
 「ねぇ、その後に放送する、笑点って番組知っている?」
 「笑点?」
 「そう。落語家さんが大喜利って言うのをやっていて、座布団を獲得すると、どうしようもない商品がもらえる番組」
 そういえば親父が見ていた記憶があった。
 「三遊亭とか、桂とか言う人が出ている番組か?」
 「そう、そう」
 「俺はあんまり見ないけれど、親父が好きで観ていたよ」
 「そうなんだ。残念。お父様がいらっしゃったら、話が合ったのに」
 「海外でもやっているのか?」
 俺は馬鹿な質問をした。
 「まさか、やっていないわよ。母がね、ビデオで送ってくれていたの。日本の文化だからって」
 「ふ~ん」
 「母は、日本の伝統文化を海外に紹介していたの。歌舞伎とか文楽とかね。だからなのかな、文化的なものは洋の東西を問わず好きだし、興味が有るわ」
 「落語、生で聴いたことあるの?」
 「まだなの。一度寄席に行きたいと思っているわ」
 「じゃあ、調べておいてやるよ。誰か好きな人はいる?」
 「桂歌丸さん、とか小三さん、が好きよ」
 「小三さんは、この間亡くなったよ」
 「そう、残念ね。あとは・・三遊亭一門の人も好き。立川一門の人も良いわ。色々聴いてみたいしね」
 「わかった」
 俺はまた、所在無げにテレビを点けた。
 「ご飯できたわよ」
ルカが声を掛けた。
 「ああ」
 俺は起き上がるとテーブルに着いた。テーブルには野菜と肉団子のスープ。チーズ入りオムレツ。パングラタンが並んでいた。
 「冷めないうちに食べましょう」
 「いただきます」
 「いただきます」
 その時テレビから、お馴染みの曲が聞こえてきた。♪チャンチャカチャカチャカチャン、プー~。
 「始まったわね」
 ルカの視線はテレビに注がれた。俺はモヤモヤした気持ちを抱え、食事をする。が、腹に入らない。ルカの視線はテレビとテーブルの間を行ったり来たりしていたが、俺があまり食べていないことに気づいてしまった。
 「食欲ないわね。不味かったかな?やっぱり」
 「そんなことはない。とっても美味しいよ」
言ってはみたが、やはり箸はすすまなかった。
 「まだ、調子が戻らないか。しょうがないわよ。あれだけ高い熱出たんだもの。無理をしないで食べられる分だけ食べてね」
 ルカがニッコリ微笑む。俺は、ルカの微笑が辛くガーッとスープを掻き込んで食べた。そして、案の定むせた。
 「純、そんな食べ方して」
 背中を叩き、タオルを取りに行くルカ。俺の目には涙が滲んだ。
 「大丈夫。気管に入っちゃった?苦しいでしょう」
 水とタオルを差し出し、背中をさすってくれる。俺はむせたことより、モヤモヤが解決されない自分に腹が立っていた。何事も無かったように接してくれるルカ。なのに、俺は、気持ちを切り替えることが出来ず、また迷惑を掛けている。情けない。タオルで顔を覆い涙を隠す。
 「無理に食べなくても栄養は取れるから。純、ちょっと横になろう。疲れているの。ご飯はもう、良いから、ね」

 俺は深呼吸をすると、素直に言う通りにした。ふかふかのベッドに身体を横たえると少し落ち着いた。ルカが薬と水を持ってきた。
 「3日間だけ薬を飲んで欲しいそうよ。倒れた時は注射してくださったの。仕事に出るときからで良いって言われたけれど、食欲ないみたいだから、今から飲んでね」
 ルカは、薬を置くと出て行った。テレビを消す音と、テーブルを片付ける音が聞こえた。 
 俺のために一生懸命作ったのだろうに・・・俺が無駄にしてしまった。何て大人気ないことを・・・俺は一体どうしたかったんだ。
 薬を飲む気にもなれず、ただ、天上を見詰めた。キッチンで水の流れる音がした。食器を洗っているルカの姿が浮んだ。涙を水と共に流しているのだろうか?俺との共同生活を後悔しているのだろうか?
 俺は、ルカが、出て行ってしまう不安にかられた。モヤモヤは不安と言う正体を現してきた。『疲れているのよ』ルカの声が、耳に蘇る。そうだ、疲れているんだ。この半月あまりの出来ことが俺に何らかのストレスをもたらしているのだ。大きなプロジェクトのリーダーとしての不安も有る。部下からの相談を受け、人間として仕事以外の付き合いもした。そう言う変化をもたらしてくれたルカに、俺は甘え八つ当たりをしたのだ。なんと情けなく大人気ない。そんな自分にまた、苛立った。
 思考は、堂々巡りを繰り返していた。耳を澄ますと、水の音は消え、レンジのチンという音が聞こえた。やがて、パソコンのキーを叩く軽やかな音が聞こえた。ルカは、パソコンも上手い。キーの音を聞きそう思った。きっと明日の資料を作っているのだろう。俺が倒れ、色々遅れているに違いない。妙に冴えてしまった頭は、ルカの行動から、あれこれ想像を逞しくしていった。
 
 どれくらい経ったのだろう。キーの音が止まり、印刷している様子だ。ふいにドアが開き、
 「珈琲飲む?本当は、暫く飲ませるなって・・・純、薬飲んでないの?」
 突然ルカの声が変化し、俺をみた。
 「しょうがないわねぇー」
 ルカかは水を口に含むと、薬を俺の口に押し込み、そして、口移しで水を俺に流し込んだ。舌先から水と薬が喉へ流れ込んでゆく。俺はルカの行動に驚きながらも、うれしさを隠し切れないでいた。
 「純、罰として、珈琲は3日間飲んじゃ駄目よ」
 そういい残すと部屋を出て行った。ルカは俺の子供じみた行動から、全てを察しているのだった。言葉であれこれ言わないだけ。だから、俺のことはとっくに許しているのだと思った。安心感が広がってゆく。安心感と同時に眠気もやってきた。ルカの唇を想いながら、俺は眠りについていた。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:49 | 第三章 黒点

8月5日 月曜日 

 翌朝、俺は爽快な気分で起きた。ベッドに腰掛け、背伸びをする。俺は『ルカに謝ろう』心に決め、隣のベッドを見ると、ルカの姿がない。俺の心臓は早鐘のように鳴った。急いでリビングへ飛び込む。すると、キッチンにルカはいた。
 「どうしたの?あ、おはよう。何を慌てていたの?ビックリした」
 「ごめん、驚かせて。あ、おはよう。ルカ、いなくなっちゃったかと思って」
ルカが不思議そうに俺を見た。
 「あ、ほら、昨日、俺、ルカを傷つけること言っちゃっただろう。なのに、俺、謝りもしないで・・・ごめん。俺・・・」
 「な~んだ、気にしていないのに。私もあれこれ、言い過ぎたかなとは思ったけど、でも、だからといって出てゆくほどのこともないでしょう」
 「ありがとう」
 俺は、嬉しさのあまり、ルカを抱きしめていた。
 「大丈夫よ。私はここにいるから」
ルカは囁き、
 「ほら、早くしないと遅れるわよ」
と元気に言った。
 俺は、このままルカを抱きしめていたいと思った。が、ルカに促され出かける準備を始めた。そして、ルカの作ってくれたご飯を大事にかみ締めながら、食べた。誰かが俺のために食ことを作ったり、親身になって看病してくれることが、これほどありがたいことだとは思わなかった。10年以上気侭なひとり暮らしを、さしたる不自由も感じずに過ごして来たし、病気もせずに来た。俺は、ルカの優しさと大きさに前に己の狭さを痛感していた。歳は俺の方が、大分行っているのに。

 「明日は、ルカの誕生日だな」
 「そうね。また1つ歳を重ねるんだわ」
 「え?年って、取るんじゃないのか?」
 「そうとも言うわね。でも、私は60歳までは、歳を重ねて行くものだと思っているの。人としての積み重ね。女の子から女性へ、そして、母として、人間として成長を続けて行くのだと。60歳で折り返し。61歳になったら、それこそ1つずつ逆戻りよ。歳は、増えるけどね」
 「なるほど」
 「60歳になったら、可愛いおばあちゃんの道を歩きたいのよ。人間味のある。それでいて年寄り臭くない、可愛いおばあちゃん」
 「ルカなら、きっとなれるよ。俺は、俺はどうかな?どんなじいさんになれるのかな?」
 「そうねぇ・・・・・頑固じじいかもよ」
 「何だよ、それ」
 「うそうそ、素敵なおじいちゃまよ。きっと」
 「そうか?それも嘘臭くないか?」
 俺は、思わず笑った。ルカもつられて笑いながら
 「どうかな?ふたりで、可愛いおじいちゃんとおばあちゃんになれたら良いわね」
 「ああ、そうだな。そうなりたいな。ごちそうさま、美味しかったよ」
 俺は、ドキッとした。ルカが俺との未来を語った・・・・・そのことが嬉しくもあり驚きでもあった。俺の我侭も受け入れてくれたルカ、そして、未来を見てくれた。『大事にしたい』俺は心を新たにした。
 出がけ、玄関に来たルカは
 「はい、今日は、お弁当を作ったから持って行ってね。それと、薬飲むのを忘れないでね」
と微笑んだ。
 「ありがとう。めちゃくちゃ嬉しいよ」
 俺は、ルカの頬にキスをし、ルカの作った弁当を抱えるように持ち、何時ものように出社した。

 その日の昼は、ちょっとした騒ぎだった。俺が手作りの弁当を広げて食べていたのだから、当然と言えば当然なのだが・・・・冷やかされる、冷やかされる。夕方には、俺の知っている奴の殆どからやっかみの声を聞かされた。いちいち説明するのも面倒なので、言われるままにしておいた。
 そして、俺は、何年間かに渡って捨ててきた有給を取得するべく、ある方法を思いついた。明日は、ルカの誕生日。俺は、一緒に過ごしたかった。仕事に忙殺される日々は目に見えて迫っている。その前に、ゆっくりルカと過ごしたいと思ったのだ。

 「福永部長、ご相談が有るのですが、お時間宜しいでしょうか?」
 「何だ、構わんぞ」
 デスク横の会議用テーブルに座る。
 「珍しいな。お前から相談とは。で、一体何だね?」
 「今度のプロジェクトでの休暇のことなのです」
 「休みか」
 「ええ、もう直ぐ、連日連夜の作業は確実だと思うのです」
 「そうだろうな」
 「そこで、今の内に一日か二日、お盆休みを避けて、順繰りに取っておきたいのです。代休を取れと、総務や組合から言って来るでしょう。しかし、現実には無理です。なら、お盆休みの期間、名前だけの休みにするよりも、今の内に取った方が良いと思うのです」
 「それもそうだな」
 「セクションごとの連携が取れるように、毎回連絡網は作成していますが、同時に公平に休みが取れるように今から始めたいのです」
 「良い考えだな。構わんよ、手配してくれ」
 「ありがとうございます。今日中に行います。で、申し訳ありませんが、私が明日、先頭を切って休みます。そうすれば、皆も取得しやすいと思います」
 「わかった。明日は、ゆっくり休みたまえ。報告は、休み明けで良いぞ」
 「はい」
 俺は、福永部長と別れ、自分のデスクに戻ると、高橋嬢を呼んだ。福永部長との話を伝え、
 「スケジュール調整を頼む。新人ひとりと後ひとり、君がコイツだと思う3人で、他のセクション、総務への手続きをしてくれ。新人は必ず入れるように。良いね」
 「わかりました」
 キビキビとした答えが返ってくる。
 「俺は、明日、先頭を切って休みを取る。今日中に大まかなものを作って欲しい。各セクションはリーダーに頼めば良いだろう。念のために依頼レポートは書いておく」
 「はい。新人は、生方君、もうひとりは4年目の神保さんにしたいと思います」
即座に答えた。
 「わかった。じゃあ、頼んだよ」
 高橋嬢は、スケジュール調整の為の行動を起こした。俺は、依頼レポートを作り、ルカにメールを入れた。
 「ルカ、今日は遅くなる。ひとりで夕飯を食べて、先に寝ていて欲しい。明日は、休暇が取れたから、ルカの誕生日を一緒に祝おう。君に見せたいものが有る。純一」
直ぐに返事が来た。
 「わかったわ。そうする。純、ありがとう。楽しみにしているわ。ルカ」

 俺は、横浜MM21の夜景を見せてやりたいと思った時のことを実行に移すべく、計画を立て、店の予約も行った。そして、明日、俺がいない間、滞りなく動くように手配をした。高橋嬢は、晩くまで駆けずり回って各セクションに説明をしてくれた。25時過ぎ、今現在の状況を報告に来た。俺は目を通すと、質問をした。
 「ソフトハウスへは確認したか?」
 「まだです。すみません」
 「いや、良い、明日やっておいて欲しい。総務の担当者は誰だ?」
 「飯島係長です」
 「あいつか、うん。今日は遅くまでありがとう。だがもう、電車はないだろう。大丈夫か?」
 「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です。同期の美和がこの近くにマンション借りているので、今日は、そこに泊めてもらいます」
 「美和さんと言うと、受付の綿野さんのことかな?」
 「ええ、そうです。チーフご存知でしたか?」
 「いや、知っていると言っても名前だけだ。計画に同期がいてね、そいつが話していた。前に、受付に美人が入社した。今もって高値の華だとね」
 「そうなんですか?言っちゃえば良いのに。美和フリーですよ。彼氏募集中です」
 「そうか、ヤツに言っておくよ。今日は、ありがとう」
 俺は書類を引き出しにしまい鍵をかけた。
 「君も早く帰って休むと良い。じゃあ、失礼」
 「お疲れ様です」
 家に帰るとテーブルに書置きがあった。
 「純、おかえりなさい。お仕ことご苦労様。疲れていて珈琲が飲みたいだろうけれど、我慢してね。薬が効かなくなるから。夜食に何か食べたかったら冷蔵庫に夕飯の残りが有るから食べて下さい。明日、楽しみにしています。ルカ」
 俺はキッチンへ行くと、水を一杯飲み、弁当箱を洗い桶の中に水を張って入れた。冷蔵庫を開けてみる。肉ジャガが入っていた。俺は取り出すと、コロッケを作った。保温器を覗く。ご飯は無かった。冷凍庫を開ける。ご飯があった。『よし』と呟く。そこで、ひき肉を発見。冷蔵庫へ移す。人参、玉葱を取り出し、みじん切りにして炒め、冷蔵庫へ入れた。俺はそこまでやるとシャワーを浴び、ベッドに潜り込んだ。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:49 | 第三章 黒点

8月6日 火曜日 1

 俺は、昨夜寝たのが遅かったにも関わらず、予定より早く目覚めた。疲れを感じていない。爽快な気分だ。
早速、夜中にこしらえておいた材料でお弁当作りを始めた。
 先ず、解凍したご飯を型にいれ、薄めのおにぎりを作る。それを表面がカリカリに成るまでフライパンに押し付けながら焼く。カリカリに成ったら、醤油に砂糖を溶かした甘タレを付けて焼きおにぎりにする。中へジャガコロッケを挟んで、キャベツの千切りをのせ、ウスターソースをかける。これで、ライスコロッケサンドの出来上がり。 
 次に、解凍した挽肉と、炒めておいた野菜と合わせハンバーグを作る。両面を焼いたら一度取り出す。火を細くして、そこへケチャップと中濃ソース、醤油、塩コショウ、日本酒少々を入れソースを作る。これは、好みなのでなんとも言えないが、ケチャップ3に中濃ソース1、隠し味に醤油をいれ、塩と胡椒で味を調える感じが俺は好きだ。後、日本酒の代わりにワインを入れても良い。入れすぎるとしつこくなるので、最初に入れてアルコールを飛ばしておいた方が良いと思う。ソースが出来たら、取り出しておいた肉を戻して、蒸し煮にする。火が通り過ぎないように火加減は中火ぐらいが良い。
 その間に、バンズパンでも食パンでも良い、少しチンしてふかふかにしておくと、ソースがパンに染みて美味しい。今日は、バンズパンにした。ハンバーガーには、レタスや、トマト、チーズ、ピクルス等を入れた。かなりのボリュームになった。テーブルにバスケット、コーヒーを入れたポットを用意したところに、ルカが起きてきた。

 「やあ、おはよう」
 「おはよう。早いわね」
 「ああ、ピクニック気分でお弁当を作っていたよ」
 「ワー嬉しい!中身は何?」
ルカが覗き込もうとするのを
 「駄目、後のお楽しみ。支度しておいで」
と俺は言った。ルカは、首をすくめ
 「ハーイ」
とおどけて言った。
 ルカは、70年代っぽいジーンズに白のメンズシャツの裾を結んでいた。軽い朝食を用意し、俺も着替えた。ルカに合わせ、ジーンズとシャツにした。テーブルの上のバスケットに帽子が2つ並んでいた。黒の皮っぽいキャップ型だ。
 「どうしたの、これ?」
 「良いでしょう。この間、散歩していたらガレージセールをやっていたの。リサイクルだから、2つで500円。本当は、1つ300円で売っていたの。2つ買うから500円にしてよって、ね、良いでしょう」
 「そうか、それは良い」
俺は笑いたいのを堪えていた。
 「それより、純、何で、バスケットなんか持っているの?男の人で持っているなんて珍しいわ」
 「ああ、別に俺のじゃないんだ。だいぶ前に、尊たちとドライブに行った時、誰かの彼女が持って来ていたんだが、俺の車に忘れてね。で、そいつ等その後直ぐに別れてしまった。返そうと思ったが、いらないと言われて、そのままさ」
 「勿体ないものね」
 「だろ」
食べながらそんな話をしていた。
 「そろそろ出かけようか?」
 「ちょっと待って、日焼け止め塗らなきゃ。純も塗ってね」
 「俺は良いよ」
 「駄目よ、皮膚ガンになるわ」
 「気にしないよ」
 「子供に遺伝するのよ。はい、手を出して。顔だけじゃなくて手も首も塗るのよ」
俺は言われるまま日焼け止めを塗った。
 「これで良いのか?」
 俺は、聞いた。だが、所々ムラになっていたようで、ルカに思い切り笑われた。
 「そんなに笑うなよ。初めてなんだぞ」
 「ごめん、ごめん。ちょっと座って」
 ルカが、顔のムラを塗り直してくれた。胸元から甘い香りがほのかに香ってきている。香水だろうか?
 「はい、お仕舞い。手は自分でよく伸ばしてね」
 「良い香りだね。香水?」
 「違うわ。ハーブよ。ハーブオイル。私、香水の強いにおいが苦手なの」
 「あ、俺も」
 「純もつける?私が調合した物だから、香水の苦手な人でも大丈夫よ」
 「俺、俺は良いよ」
 「そう・・・・」
 ルカの瞳がクルリと動いた。何か企んでいる。俺は直感した。
 「ルカ、何を考えている?」
 「何も、どうして?」
 「いや、君の瞳がクルクル動く時は、悪戯をする時だから」
 「何、それ?」
 「判らないだろう、ルカは、無意識だから」
 「変なの」
 「良い、良い、出かけよう」
 俺は、ルカの悪戯心が芽生えないうちにと思い、飛び出すように家を出発した。
 だが、駅まで歩き、切符を買ったその時だ。首筋にルカの香りとヒンヤリとした感触を感じた。隣にいたと思ったルカが、背中からヒョコっと顔を出した。
 「ルカ、何をした?」
 「別に、ただ、オイルを耳の後ろにちょっと付けてあげただけよ」
 「あのなー」
 俺は言いかけたが、ルカのブルーの瞳に出会いドキドキして次の言葉を失った。
 「怒った?」
 「しょうがないな。怒ってないよ」
 「ごめんね」
 ニッコリと笑うルカ。俺は、外人がする仕草のように両手を挙げ、ルカの首に手を回しながら切符を渡した。

 ルカは、出かける先、出逢う人がいるかいないかで、さまざまな対応をする。今日のルカは子供みたいだ。はしゃぐルカを見ていると、俺も子供になれる。さっきの様な悪戯さえ受け入れられた。
 電車の中で、周りの若い奴等に触発されたように、俺はルカの肩や腰に手を回した。何時もは、そう言う奴等を見ていると、一体どうなっているのだろう?こいつ等恥ずかしくないのか?公衆の面前で何を考えているのだ?と思っていた。ナンパしていた頃も俺からベタベタとくっ付いたことはしなかった。相手の女からくっついてきた。流石にキスはしなかったが、俺はルカを守るように体を寄せていた。ルカも俺に身体を預けていてくれる。俺の心は充足感で満ち溢れていた。
 山下公園・海の見える丘公園・外人墓地・元町と俺たちは散歩して歩いた。海の見える丘公園でお昼にした。兎に角良く歩いた。そして、疲れを知らぬ子供のように、じゃれあった。MM21の遊園地にも行った。風船を買い、ポップコーンやソフトクリームを食べ、様々な乗り物に乗った。ルカは、ジェットコースターが嫌いだと、乗る前に大騒ぎだったが、乗ってしまったら、誰より楽しんでいた。そのことをからかって言うと、
 「それは違うわ。怖くて仕方がなかったの」
と膨れた。俺は、そんなルカが可愛くて仕方がない。
 ジェットコースターを降りたところに、写真がパソコン画面で表示されていた。俺たちは一枚ずつ記念に買った。何でも、今月のベストショット、と言うのが有って、2ヶ月分を貼り出していた。ルカは、
 「貼られたらどうしよう?」
 と今から貼られる気でいるように思えた。だが、その物言いは、どこか期待というより不安気だった。貼られると困ることでもあるのだろうか?俺の心に小さな棘が刺さった。その棘を俺は隠し笑顔を作った。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:48 | 第三章 黒点

8月6日 火曜日 2

 夕暮れ時、予約していたビストロで食事を取った。窓際の海が見える場所だ。ワインを傾けながら、ゆったりとした食事をした。
 「ルカ、27歳の誕生日、おめでとう」
 「ありがとう、純」
 海を見ながらの食事にルカは感激していた。最後に、バースデーケーキを出してもらった。蝋燭の灯ったケーキ。プレートにはHAPPYBIRTHDAYの文字。思わずルカは、
 「純、私、こんなに良くしてもらって・・・本当にありがとう・・・私」
言葉を詰まらせた。
 「気にしなくて良い。君の誕生日だろう」
 「でも・・・」
 「ルカらしくないな。大食漢のルカだから、食事足りなかったかな?」
 俺はちょっと茶化すように言った。
 「ひどーい。もう充分食べました」
 「じゃあ、このケーキは俺が貰おう」
 「純の意地悪。食べますよ」
 「じゃあ、蝋燭の炎、消して」
 俺は笑いながら言った。ルカは一気に蝋燭を吹き消すと、嬉しそうに笑った。俺は、切り分けると、皿に盛り、ルカに渡す。ルカは満面の笑みを浮かべ、ケーキにぱくついた。
 「いいねぇ。ルカは、そうじゃなきゃ」
 俺は、ルカが食べている顔を見ているのが好きだった。俺も笑顔になる。この笑顔を、俺は一生見ていたいと願った。ルカの笑顔がみられるなら、俺はなんだってしてやりたいと思っていた。

 俺があんまり見詰めているものだから、ルカは、
 「純、食べないの?食べちゃうよ」
と声を掛けた。
 「食べるよ。でも、食いしん坊のルカを見ているのが楽しくてね。それに、残りは、テイクアウトするから、今無理に食べなくて良いよ」
 ルカは、フフフと笑った。ケーキを堪能しながら、俺は、
 「ルカ、最後に、俺が一番プレゼントしたかったものを見せるよ」
と言った。
 「何?」
 「きっと気に入るよ」
 「何かしら?楽しみだわ」

 店を出ると、京浜東北線に乗る。わざと、反対方向の電車に乗り、途中で引き返す。不思議そうにしているルカ。丁度桜木町駅に入る頃、進行方向右側の窓際へ、俺はルカを連れて行った。
 「見てごらん」
 俺はルカを窓にむけた。目の前には、光が織り成す世界が広がっていた。
 「綺麗・・・・」
 それきりルカは黙った。ただ、ただ目の前の世界に浸っている。
 東神奈川に入線した時。ホーっと溜息をつき、俺の肩に寄りかかり
 「純、ありがとう」
ルカは囁いた。
 それから、俺たちは家までの道程を、無言の言葉で会話をした。手を繋ぎ、温もりで会話する。俺の一番好きな時・・・・・・・

 こうして、ルカの誕生日は終わった。
 この先は、忙しい日々になる。家についてから、俺は珈琲を淹れながらルカにそう言った。
 「今日みたいに、ふたりで過ごす時間は中々取れない。残念だけど」
 「仕事だもの、気にしないでね」
 「ああ」
 「ねぇ、純」
 「何?」
 「今日は、楽しかった。本当にありがとうね。私・・・」
 「ほらほら、また。俺は、ルカが喜んでくれたらそれで良い。もう、言わない」
 ルカは、黙って頷いたが、何か言いたそうだった。
 「じゃあ、明日早いから、俺はシャワー浴びて寝るよ。ケーキ、冷蔵庫に入れて置いて。頼むよ」
 「わかったわ」
 俺は、シャワーを浴びた。浴びながら、『ルカ、また気にしちゃったかな?』と思った。ルカが気にしない方法を考えたが、良い考えが見つからなかった。風呂から上がりルカに声を掛けた。
 「ルカ、君もシャワー浴びたら?」
 「ええ」
 「俺は、寝るよ。おやすみ」
 「おやすみなさい」
 俺は、ベッドに横になった。横になりながら考えた。ルカが、気にしない方法。考え付かなくて、起きたり、寝返りを打ったりしながら、ルカのベッドを見た時、ふっと閃いたことが有った。そうだ、この間の・・・。ルカが、シャワーを浴びてきた。俺は、声を掛けようと思っていたが、ルカの方が、先に声を掛けた。
 「純、寝ちゃった?」
 「いや、まだ寝ていないよ。ルカ、ちょっとここに来て」
ルカをベッドサイドに呼ぶと、
 「ルカ、今日のことは、俺がこの間風を引いた時に迷惑をかけた御礼だよ。だからルカ、気にしないで欲しい。ルカに気にされると、俺が困る」
 「でも、私、純の優しさに甘えてばかりいる。こんな、何処の人間か判らない女を置いてくれるだけじゃなくて、我侭を聞いてくれる」
 「良いんだ。俺が、そうしたいからしているし、俺は、君が愛しい。こういう気持ちは初めてだよ。ただ、君が重荷に感じるなら、もう」
ルカは、首を横に振った。
 「私、純のこと、好きだと思うの。でも、怖いの」
 「鍵の人を忘れることが、かな?」
 「ううん。あの人のことは良いの。私を裏切って行った人だから。そうじゃなくて・・・」
 「無理しなくて良い。俺は、君の今の言葉で充分だから。もう、おやすみ。いいね」
ルカは、動こうとしなかった。
 「しょうがないな。じゃあ、俺のお願いを聞いてくれるかな?」
ルカの瞳が俺を見詰めた。
 「ここで、一緒に寝てくれるかな?あ、今日は裸じゃなくて良いから。その、また風邪を引くと困るしね」
ルカは、微笑んだ。
 「よし、決まり」
 俺は、ルカを布団に入れ、キスをするとそのまま眠った。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:47 | 第三章 黒点

8月7日 水曜日 1

 昨日は、歩き疲れて眠った。が、気分がどこかHighで、早くに目が覚めた。俺は、隣で眠るルカに目をやった。幸せそうに寝息を立てている。その天使の様な寝顔を暫く見詰めていた。そして、昨夜のルカの言葉を思い出していた。『私を裏切った人』一体何があったのだろう・・・?俺の心に、また疑問が浮んでは消えた。俺は、ルカの過去を何一つ知らない。知らないでいたい気持ちと、知りたい気持ちがない交ぜになっている。複雑すぎるこの想い。『君は、一体何処の誰?どうして俺の目の前に現れた?』過去などどうでも良いじゃないか。思っては見るが、やはり気になる。開けてはいけないパンドラの箱がルカの過去だと思った。思えば思うほど、あけてみたい衝動に駆られた。今、こうして、俺の目の前にいるルカでは駄目なのか?いや、そんなことはない。俺の目の前にいる、ルカで充分なのだ。そうだ。そうなのだ。充分なのだ。自分の気持ちを押し込めようとした。しかし・・・・・パンドラの箱は、意外な所から開けられることになるのだった。

 ルカが目を覚まして、見詰めていた俺と目が合った。
 「純、嫌だ、見ていたの?」
 「うん、ルカの寝顔が可愛いな~と思って見ていた」
 「何時から?」
 「ちょっと前」
 「恥ずかしいよ」
 「どうして?」
 「恥ずかしいの」
 ルカは、そう言うと俺の胸に顔を埋めた。俺は、そんなルカの仕草が可愛くて、抱きしめるとキスをした。あの日以来、キスには抵抗がなくなってきたのか、キスは受け入れてくれる。それが嬉しい俺。単純だな。さっきまでルカの過去を考えていたのに、目覚めのキスで、どうでも良くなってきた。
 「今日からまた、仕事だ。頑張るよ」
 そう言うと俺はベッドから起き上がり、仕事の準備を始めた。ルカも起きてくると、食事の支度に取り掛かった。その後姿を見て、俺は不思議に感じた。ルカは、ここへ来てから、料理を覚えたと言ったが、多分嘘だ。素養はあった。最初出来ない振りをしたと俺は思う。手際の良さと勘の良さは、やっていたことを物語っている。また、パンドラの箱の迷路に入り込みそうになった。しかし、今は、仕事モードに切り替えようと思っていた。
 「純、出来たわよ」
ルカが、声を掛けた。
 「わかった」
俺は、テーブルについた。
 「美味そうじゃん。いただきます」
 「いただきます」
 「美味い!腕、上がったよな」
 「そう?」
 「うん。短期間で良く出来たよ。やっぱり、仕事の成果かな」
 「そうね。主婦の人たちから、色々教えてもらっているもの」
 「良かったな」
 「ええ」
 ジャーマンポテトにフレンチトースト、バナナミルクと、消化に良い食事に俺は満足した。
「珈琲、何時でも飲めるように淹れておくからな」
俺は、キッチンに立った。ルカが、後ろで俺を見詰めている。その視線を感じた時、
 「純が、キッチンに立っている姿、良いね。私、好きだな」
ルカは、テーブルに頬杖を付きながら言った。
 「何を言い出すんだ」
 「だって、そうなんだもの。男の人が、キッチンに立っているのが嫌だって言う人いるけれど、私は、素敵だと思うの。純似合うよ」
 「そうか。似合うか」
 「ええ」
 俺は、淹れたての珈琲をルカとゆっくり飲んだ。
 「ルカとこうしていたいよ、俺」
 ルカは微笑んだ。目覚ましがけたたましい音を出した。
 「いけねぇ。目覚まし止めるの、忘れていた」
 俺は慌てて止めに行った。その音を合図に、ルカは、キッチンへ行き洗いものを始めた。俺は、珈琲を飲みながら、キッチンのルカを見ていた。洗い物が終わる頃、俺は立った。
 「ルカ、早いけど行くよ。君を見ていたいけれど、会社へ行きたくなくなるからね」
 「わかったわ」
 俺は鞄を持って玄関へ行った。
 「純、気をつけてね。行ってらっしゃい」
 「ああ、行ってくるよ」
 俺は、ルカにキスをして出かけた。

 会社に着くと、デスクの鍵を開け、書類を出す。そして、デスクの上に並べてある書類に目を通す。判の必要なものと、そうでないものに分ける。判が必要でも、やり直しの書類ははじいて付箋を付ける。これらの作業を1時間あまりで終わらせた。
9時、全員が揃った。俺は、臨時のチーム会を始めた。
 「早速休みを取らせてもらって、昨日は、ありがとう。皆も、早めに取って欲しい」
 「チーフ、昨日はデートでしたか?」
 「篠田君、チーム会で言うことじゃないでしょう」
 「高橋、良い。そうだ。デートだ。彼女の誕生日だった。君たちも、彼女や彼氏と過ごす時間を大事にしてくれ。そのことが気になって、仕事に身が入らないより、デートを楽しんで、次の日は仕事をする方が良いだろう」
 「そうですよね」
 「ああ、それで、業務効率が図れたら良いだろう」
 「はい」
 「ちゃんと、会社側には話をしてあるし、他のセクションとの連携も取ってある。だから、気にしないで欲しい。だからと言って、しなくて良い残業や休日出勤をすることもないからな。今日は、そのお願いだ。業務効率を図るように仕ことをして欲しい。無理・無駄のなように」
 「はい」
 「先ず、書類だが、かなりのミスが目立つ。付箋のついているものは、全てやり直しだ。基本的なミスが多い」
 俺は、机に書類を出した。
 「これから1時間以内に、再度提出して欲しい。良いね。じゃあ、他に連絡は?」
皆黙っていた。
 「特にないなら、これで終わりにする」
俺は、チーム会を解散した。

 その日の昼、統括部長からお誘いがあった。久しぶりに飲みたいとの申し出。二つ返ことで引き受けた。ルカにメールをする。
 「今日は、上司と話があるので、遅くなる、先に寝ていて欲しい。純一」
直ぐ返事が来る。
 「わかったわ。ルカ」
この辺がルカの良い所だ。
 昼からは、顧客の所へ出向き、最終的な打ち合わせと、次期計画への打診をした。今は、契約が取れたからといって、次の契約に結びつくという保証がな時代になった。それまでは、一連の流れとして契約が続いて行ったが、秒進日歩の世界、何時、他の新しいシステム計画が食い込んでくるか判らないのである。それだけに、ミスは少ない方が良い。他業者に取って代わられるケースはざらにあるのだから。
 今期契約は、年末までに稼動させることになっている。クリスマス辺りが勝負になりそうな気配だ。せめてクリスマス前には、終わらせておきたい。俺の中に、ルカと過ごしたいという気持ちが大きく働いている。が、部下たちにも、クリスマスぐらいのんびりさせてやりたいし、正月返上なんてことにはさせたくないのだ。

 俺が、この部署に来た頃は、IT景気で、仕ことが腐るほどあったし、SEは花形の職業として人気もあり、人手が足りない程だった。勢い残業も今の比ではなかった。だが、今回は20億の商談だ。休日返上は必至だ。俺は、会社への帰り道、いかに効率良く仕事を回転させるかを考えていた。そのためには、勤怠やその他の細々した事務処理の時間を短縮しておかなければ成らない。この勤怠や総務に提出する事務書類と言うのは、結構面倒なのだ。総務にも面倒をかける。2度手間、3度手間と掛けさせてしまうことになる。そうなると、仕事にも少なからず影響が出る。
 俺は、ひとり、誰かこの事務処理担当を決めようと思った。以前は、事務担当の人間を雇っていたのだが、人員削減で事務処理担当の人間はいなくなった。その代わり、イントラネットでの業務効率化を図るはずなのだが、上手く行かない。人間がやるところを、機械(システム)が肩代わりするのだが、機械は万全ではない。故障がつき物なのだ。それに、人間のミスを機械はチェックしきれないのだ。そうなると、機械もミスをするのである。部内秘書の役割を担える適任者を早急に探し出す必要があった。
 高橋嬢は、適任と言えば適任なのだが、彼女のこれからを思うと、そうそう、こういった仕事ばかりを頼むことは出来ない。俺は考えた。新人では、ある意味荷が重い仕事だ。俺の脳裏にルカの顔が浮ぶ。ルカは、適任だ。しかし、彼女は会社の人間でもなければ、派遣に登録しているわけでもない。それに、何より、英語の家庭教師を始めたばかりだ。無理は言えない。ルカのように機転が利いて、迅速に対応できる人間・・・・・後で統括部長に相談しようと思った。が、その前に高橋嬢に聞いてみることにした。事前リサーチである。デスクに戻り、高橋嬢を呼ぶと、俺は切り出した。

 「ちょっと知恵を借りたい」
 「何でしょうか?」
 「君が推薦するなら、この人物と言う人間を教えてもらいたい。今回、部内秘書的な役割を誰かにやってもらおうと思う。今までは、珠樹君がいたが、会社の方針で部内秘書制度は廃止になっただろう」
 「はあ・・・・そうですねぇ」
 「君のお眼鏡に敵う様な人物はいないだろうか?」
 「私じゃ駄目ですか?」
 「それも考えた。しかし、君にはこれからSEとして頑張ってもらいたい。新人では荷が重いと思う。2年目以降の人物で誰かいないだろうか?君がサポートしてくれても構わない」
 「ありがとうございます。少し、考えさせていただけませんでしょうか?」
 「少しとは、どれくらいかな?」
 「定時までには」
 「わかった。頼む」
 俺は、そう言うと、ブラインド越しに、桜木町の街を見下ろした。この辺りは、博覧会の会場になり、かなり開けた。横浜や関内より、人の出入りが激しくなった。そう、あの博覧会の開発システムの導入の時だ。俺は、ライバル会社に仕事を取られた。あの時の悔しさが、今の俺に繋がっているのだと思う。今回、同じライバル会社に競り勝った商談なのだ。思い入れが違う。『次期計画も、絶対に落とす』俺は、想いを新たにしていた。

 定時の鐘が鳴る頃、高橋嬢は数枚の紙を持ってやって来た。
 「チーフ、お待たせしてすみません。私の所見をここ にメモしておきました。それで、申し訳ありませんが、この後、美和との約束がありますので、今日はこれで失礼させていただきます」
 「わかった、ありがとう。参考にさせてもらうよ。そうだ、今度、計画の今井を誘ってやってくれないか?俺が言ったとは言わないでくれよ。あいつ、美和さんにお熱だからな」
 「分かりました。フフ、チーフもやりますねって言うか、チーフ雰囲気が変わりましたよね」
 「そうかな?」
 「ええ、彼女が出来たせいでしょうか?柔らかくなって、良い感じですよ。皆で時々話しています」
 「そうか。そうかもしれないな」
 「ごちそうさまです。じゃあ、私はこれで失礼します」
 「ああ、ありがとう」
 俺は、高橋嬢のメモを直ぐに読んだ。高橋嬢の所見が仔細に書いてある。メモとは思えないほどだった。部内の人間関係から性格までを良く把握している。俺などよりも、人間関係形成という点では上かもしれないと思わせた。それだけ長所短所が微に入り細に入り書かれていた。
 俺は、その中で、ひとり注目すべき人間を発見した。最後のコメントで高橋嬢が最も押した「神保薫」と言う女性だ。彼女のことは、おとなしいがミスの少ないイメージとして映っていた。高橋嬢曰く「物事に対する取り組み方が真面目。石橋を叩いても渡らず、壊してしまう所がある。でも、計画性、実行性は部内ナンバーワン」とあった。俺は、このメモを読んで、「神保」しかいないなと思った。今まで、あまり目立ったことはしていない。しかし、書類の記入ミスのな人物である。俺はそのことは認めていた。だが、積極性に欠けている部分があり、伸び悩んでいた人物でもあった。俺は、この仕事が、彼女にとって、新しい可能性を引き出してくれたらと、期待した。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:47 | 第三章 黒点

8月7日 水曜日 2



 19時前、家田統括部長からの電話があり、MM21内の割烹居酒屋で食事をした。俺は、酒が進む前に、部内秘書の件を切り出した。
 「家田統括部長、お願いと言うか、ご承諾願いたいのです。一方的に言いますが、今度のプロジェクトで部内秘書を置きたいのです。会社側としては、廃止した制度です。しかし、俺は、部内秘書と言うのは重要な役を持っていて、必要性を高く感じているのです。SEの仕事をしながらでも、個々のこと務能力を高めるには、サポートしてくれる人間も必要ですし、専門知識を持ち、サポートしてくれる人間がいることは、こちら側でも心強いのです。如何でしょうか?」
 「で、誰を考えているのかな?」
 「はい。神保薫と言う女性です」
 「高橋君じゃないのか?」
 「ええ、彼女のことも考えました。しかし、彼女以外で今回はやってみたいのです。珠樹君がいなくなってから、高橋君は、細々と面倒を見てくれましたが、SEとしての仕事をこのプロジェクトで発揮して欲しいのです。彼女のキャリアを伸ばしたい。今のまま高橋君におんぶに抱っこ状態では彼女が可哀想だと思うのです。それに、神保君のことは、高橋君からの推薦でもあります。このメモを見て下さい。高橋君が書きました」
 俺は、メモを家田統括部長に見せた。統括部長は、黙って読んでいたが、感心したように
 「ほー、これは凄いね。この観察眼は、私も見習わないといけないな」
と言った。俺は。すかさず、
 「そうでしょう。俺も思いました。こういう眼をプロジェクトで発揮して、次期計画のメンバーに入って欲しいと思います。今回は、三枝のある意味奇抜なアイディアを先方が気に入ってくれましたが、次回も同じ手は使えません。そうなった時には、相手の手の内を見極められる目を持った会社が有利だと思います。その点、高橋君は適任だと想いますからね」
 「そうだな。SEサポートとして、神保君を育ててみるか」
 「はい」
 「同じ人間が、同じ役回りだけをやっていると、驕りや満も出て来る。ひとつ、改革をやってみるか」
 「ありがとう御座います」
 家田統括部長は、本当に打てば響く人で、俺としては助かる。総務の堅物国見部長とは偉い違いだ。その後、俺たちは、仕事を離れ、他愛のな話しをしていた。が、突然変なことを言われた。
 「そうそう、佐藤君、君、昨日、西園寺財閥のご令嬢とご一緒だったそうだね。君たちを見かけたという人がいてね。まるでデートだったと言っていたよ」

俺は、一瞬何のことだか分からなかった。
 「美里のことですか?美里となら、昨日は会っていませんが・・・・」
 「美里さんとおっしゃったかな?いや、名前までは良く知らないが、違う名前だったような気がするのだが」
 「俺の知っている西園寺財閥の令嬢は、美里です。大学の同期です。彼女は、経済学部、俺は、工学部でした。天文学同好会で知り合いました。彼女、鉱物に興味を持ち、今では、銀座の裏通りで宝石店のオーナーをやっていますよ」
 「そうだったか?直接お会いしたことがないので良くは知らないのだが、昨日、君のデートの相手が西園寺財閥のご令嬢だと聞いて、驚いていた所だよ」
 「いえ、西園寺財閥の令嬢ではないです。大学時代、美里は天文学同好会のマドンナ的存在でした。友達として今でも付き合いはありますが、俺の相手ではありません」
 「そうか、じゃあ、ヤツの見間違いだな」
 「何処で、俺たちを見かけたのだろう?その方は、誰でしょうか?」
 俺は不安になって聞いた。
 「常務だよ。蛭田常務。京浜東北線の車内だそうだよ。君の顔を見たので声を掛けようと思ったら、何時もの君らしくない顔で、女性と一緒だったという。で、相手の顔を見て、また驚いた。西園寺財閥のご令嬢だと興奮して私の所に電話をよこしたと言う訳だ。きっと、慌てたのだろう。君の顔が、とても優しく良い顔だったと言っていた。あれは、絶対恋していると、野次馬みたいなことを言っていた」
 「参ったなー」
 「いや、参ることはない。誰でも、恋をすればそう言う顔になる。それに、最近の君は、仕事が取れたこともあるだろうが、雰囲気が変わったと評判だぞ」
 「ハー」
俺は、照れた。
 「恋も仕事も充実している時が良い。確かに、君の顔は、今、良い顔だよ。大事にしなさい」
 「ありがとう御座います」
 それから、俺たちは、かなり遅くまで飲み、楽しく話をした。しかし、俺の心の中に、小さな雲が発生していた。その雲はやがて、暗雲となって俺とルカに襲い掛かってくるのだった。
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by karura1204 | 2004-12-01 01:46 | 第三章 黒点